一般例会No.132 木津山城、三上山(さんじょうやま・473m)から
      恭仁京(くにのみやこ) 跡 例会記録
概要 『馴染の薄い三上山ですが、静かで眺望は抜群です。
 謎の恭仁京遷都、聖武天皇の彷徨、柴香楽宮の続編です。ハイキング+歴史探訪シリーズNo.9』

日時 2008年6月8日(日)
天候 晴れ
担当 紀伊埜本、奥中 
集合 JR天王寺駅8時集合、関西本線8時14分発奈良行きプラットホーム中央付近
行程 JR天王寺⇒JR奈良駅乗換え(8時51分発)⇒JR奈良線棚倉(たなくら)駅(9時9分着)〜
P207m尾根〜三上山〜海住山寺(山寺にひそむ国宝五重塔あり)〜恭仁京跡〜JR加茂駅
参加者 堀木、三原(秀)、欅田、畑山、和田(敬)、寺島、寄川、岩崎(憲)、横内、田中(智)、小椋(勝)、
小椋(美)、神阪(洋)、川守田、牧田(柳)、三原(博)、實操(綾)  ・・・ 計19名

9:43 JR棚倉駅に到着。
 

9:44 駅前の山城町の観光PR板、
お茶とたけのこの里!

10:08 駅から少し歩き、町外れで
朝の挨拶と初参加者の紹介。

10:25 竹林の中を登る。 

10:49 ササユリ一輪。 

11:20 かいがけの道へ入る。 

11:58 三上山は目前です。
  

 12:08 三上山山頂(473m)
の展望台着、ここで昼食です。

12:12 展望台から観る
木津川、恭仁宮跡。 

12:44 昼食後、代表から平城京
から恭仁宮への遷都について説明を聞く。 

13:13 展望台の片隅にある三角点。
  

13:45 海住山寺へ向かう
山道へ入る。 

14:03 海住山寺の上にある展望台
から観る木津川、恭仁宮跡。 

14:05 海住山寺着、本尊は
十一面観世音菩薩(重文・天平時代) 

14:08 国宝の五重塔(鎌倉時代)

14:10 境内で一休み。 

14:35 急坂の自動車道を
下り恭仁宮跡へ向かう。 

14:50 山城国分寺跡着。

14:54 礎石跡です。 

14:52 恭仁宮大極殿と山城国分寺跡の説明板です。 

14:55 史跡 山城国分寺跡(恭仁宮跡)の説明板です。 

15:13 史跡全景。

15:46 JR加茂駅着、その後解散。
   雨という予報が、まさかの晴れになった。おかげで三上山からの素晴らしい眺望にめぐり
会えた。とうとうとした木津川の流れが、西から北へと直角に転ずる範囲に、この三上山の
裾野がすっかり取り込まれている。この様な地形は、天平の貴族達が勢子の追う獲物を前に
、馬上に弓矢を構える絶好の狩場だったに違いない。それにしても、この山頂から見れば平
城京は指呼の間にある。週末?の余暇を楽しむ風光明媚な場とあれば別として、聖武天皇が
なぜこの地(恭仁京)に遷都しようとしたのか、今さら現代人に合理的な説明を求めるのは
無理というものだろう。
 山頂からいったん南側の谷間に下り、支尾根を越えて海住山寺に至る辺りは里山の風景が
見事に釣合っていて美しい。恭仁京跡はさらにその先に拡がる田園のなかにある。恭仁小学
校とある小さな木造校舎と、整然と組まれた巨大な礎石の他は何ひとつ無いが、それがまた
1300年近く前の歳月を彷彿とさせる。晴れた日の下で、久しぶりにゆったりとしたひと
時を過した。帰路、一歩横に出ると、真直ぐ見通せる道は国道163号線を割ってさらにそ
の先まで連なっている。登大路であろうか、賑やかな会話を楽しみながら一歩々、古代の路
を下って行きました。                 (記:紀伊埜本、写真:奥中) 
 
     
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