一般例会No.175  槙尾の双耳峰・上山と猿子城山 例会記録
概要 『美しい双耳峰はある位置と角度から鮮明に見える。南北朝時代の狼煙台か?ハイキング+歴史探訪シリーズNo.13』
 
日時 2009年10月17日(土)
天候 曇り一時小雨
担当 紀伊埜本節雄、奥中種雄
集合 南海河内長野駅前 滝畑行きバス乗り場 8:45集合(9:04発に乗車)
行程 河内長野⇒(バス)滝畑ダム〜ボテ峠〜猿子城山〜上山〜槙尾山〜ボテ峠〜滝畑ダム
参加者 小椋勝久、小椋美佐、堀木宣夫、田中智子、山田春雄、津川洋子、山下登志子、加福輝之、岸本久仁雄、秋田文雄、西村晶、
和田良次、和田敬子、紀伊埜本博美 ・・・ 計16名
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9:43 滝畑バス停着。
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9:54 登山口で今日のコースの説明を聞く。
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9:57 ダイヤモンドトレールの案内板前から登る。
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10:01 よく整備された登山道です。
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10:35 ボテ峠(標高477m)に到着。
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10:52 ボテ峠から折り
返すように猿子城山に向かう。
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11:05 山頂に至る細くて急峻な尾根筋。
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11:17 山頂の肩にある小さな台地着。
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11:23 猿子城山山頂着、ここで昼食。
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11:34 昼食中、小雨が降り
出し傘をさして食べる人も。
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11:58 眺望の良いところから施福寺が見える。
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12:11 十五丁石地蔵着、小休止中。
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12:34 石柱に「まきのを」の
矢印、代表より説明を聞く。
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12:39 上山山頂近くから見た猿子城山の南側。
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14:32 本尊御開帳で参拝者多数の施福寺。
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14:33 茶店前で小休止中。
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15:08 追分(標高349m)着。
ここから二つの峠を越すので軽装に。
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15:25 番屋峠(423m)通過。
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15:38 ボテ峠へ向かう。
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15:47 ボテ峠着、バスの時間が気になりだす。
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16:10 登山口へ下山、その後
16時13分発バスに待ってもらい飛び乗る。
     

 お昼頃から時々小雨がぱらつく怪しげな空模様である。でも夏は過ぎ季節は巡り秋である。これ
からが楽しい里山シーズンだ、気分は爽快である。
 さて題名の猿子城山だ。山城跡だとする説がある。ボテ峠からこの山頂に至る細くて急峻な尾根
筋、山頂の肩にある小さな台地と、なるほどここが山城なら恰好の地形だとよくわかる。だが考え
てみると、いかに時代を遡っても、この山の位置、規模からしてここに戦略的な意味があるとは思
えない。では狼煙台?か、上山と猿子城山を遠くから眺めると鮮やかな双耳峰に見える(猿子城山
自体のコブではない)現に参加者の皆さんにこの山頂に立ってもらうと「ほぉー」という実感がも
れる。白州正子著「かくれ里― 」にも滝畑の伝承として狼煙台の話がある。だがそれでもなお私
は、単に通信手段としての狼煙台の役割には疑問がある。ここはまず、猿子城山に限っていえば隠
し砦、地域の村落が戦場と化したとき、婦女子達の為にあらかじめ用意された避難場所とみればど
うだろう。狼煙火は暗闇であっても村人たちの警報にもなり目印にもなる。またそれ以上の危機に
直面すれば、隣国に逃れるにこれ程有利な位置はない。面白い説だと思われたらうれしいが、これ
は私の勝手な推論である。こんな話が例会歴史探訪の名に相応しいかどうか、それは参加者の皆さ
んに委ねるしかない。
 猿子城山の全体像を知るため、南側の上山の山頂近くまで歩き、さらに北側の槇尾山まで戻って
来てくどいほど眺める。いや眺めてもらった。おそらく南北朝時代であったろうその頃、滝畑村の
長の立場にあれば如何様に成すか、これもまた私の勝手な妄想を聞いてもらう。
 復路は槇尾山から追分、番屋峠、ボテ峠と朝から一周して振り出に戻った。ほんの軽いハイキン
グのつもりが、駅前で示された方々の万歩計は20000とも25000ともいう。「いいじゃな
いですか!」今日もまたお互い楽しくて面白くて健康で、充実した一日を過ごせました。里山バン
ザイである。ハイキング万歳だ。                    (記:紀伊埜本、写真:奥中) 

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