一般例会No.176  鈴鹿・日本コバ(934m)例会記録
概要 『愛知川の中流、八風街道を見下ろす位置にあります。登山者の訪れも少ない不遇な山ですが、興味深い山名です。』
 
日時 2009年11月8日(日)
天候 晴れ
担当 紀伊埜本節雄、長瀬茂正
集合 JR大阪駅 7:00集合(7:15発 新快速米原行き乗車ホーム中央)
行程 JR大阪⇒JR近江八幡⇒(近江鉄道)八日市⇒蓼畑(タクシー)⇒藤川谷〜日本コバ〜P870〜政所⇒(タクシー)八日市⇒大阪
参加者 寺島直子、安岡和子、寄川都美子、紀伊埜本博美、岸田暎子、谷村洋子、安本昭久、安本嘉代、秋田文雄、大西征四郎、奥中種雄、
柴田弘子、田中智子、神阪洋子、小椋勝久、小椋美佐 ・・・ 計18名
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9:28 八日市駅からタクシー
に分乗、蓼畑の登山口に。
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9:32 本日の担当者より行動予定の説明。
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9:35 藤川谷登山道の入口。
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9:50 渡渉中、岩に苔がつき滑りやすい。
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10:05 樹林の僅かな隙間から観る紅葉。
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10:10 頂へは谷沿いの杉林、
雑木林の緩やかな?登りが続く。
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11:13 晴天の日差しを受けて、体も軽く。
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11:16 落葉の絨緞の上を気持ちよく登る。
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11:37 途中人が住んでいたという
岩屋の岩穴の探索(洞窟の入り口)。
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岩穴の内部、この奥に二段になり上部がある?
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11:45 岩屋(奇人の岩屋)の頭。
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12:29 山頂に到着、ここで昼食。
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樹林の切れ間より霊仙山方面を望む。
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12:36 山頂で昼食中。
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13:32 ここまで下ると紅葉がより美しい。
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13:33 下山は政所道をのんびりと紅葉を楽しみながら下降。
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14:30 政所(川西)に下山。
紀伊埜本代表や先祖がこの地の小椋氏より、この
辺りの歴史や木地師についての説明を受ける。
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14:42 政所の集落を後にする。
     

 鈴鹿の山々はよく知っているようで、まだまだ知らない山が多い。日本コバもその一つである。
ただ私の興味はこの山麓の小椋谷の木地師発祥の地にあった。あろうことか、山岳会の後輩である
小椋さんは、この小椋谷の君の畑を墳墓の地とする末裔である。日本コバはその小椋谷の西の入口
に門衛のように突立っている山だ。例会に日本コバを取り上げたのは、そんなところから始まった
のが動機である。
 八日市からタクシーを使って蓼畑まで直行する(7000円弱)タクシーを積極的に利用することで、
近頃は日帰りの行動範囲が広くなったのがありがたい。八風街道を東へ永源寺ダムを廻り込んだと
ころに蓼畑がある。愛知川はこの先で大きく屈曲するのだが、その前に北から小椋谷、西から小さ
く藤川谷が合流する。登山道はこの藤川谷沿いに山頂へと伸びている。1時間ほど登ると谷間が迫
り、やがて左岸のせり上がったところに露岩が現れる。奇人の窟というのはその露岩の足元に井戸
のような狭い落ち口があり、入ってみると底に水溜りがあってあまり快適な居住区とは云へない。
露岩を越えるとその上はもう稜線の一角である。しかし、藤川谷はここを頸部としてその上部は大
きく緩やかに拡がり、その広がりと緩やかさはまるで読図勘を狂わしてしまう。ルートは北の尾根
(そのまま西に大きく迂回すれば山頂に連なるが)から南の尾根に移って山頂に至るのだが、広い
扇状の沢筋は渡るというより、横切るというほどの広さである。珍しい地形だと思う。それにして
も、この平坦な尾根を覆う紅葉の素晴らしさは見事である。からだの芯まで黄金色に染まるのでは
なかろうか。O氏はこの情景はとても写真には収め切れないという。では各々方、ここはしっかり
脳裏に焼付けるしかないだろう。 
 下山路は一つ北側の尾根筋をストレートに政所まで下る。谷間に人家が望まれるようになってか
ら、さらに一段ときびしい下りが待っていた。終了まで予定通りジャスト5時間である。タクシー
との約束時間までほんの僅かな間に小椋さんに話を聴く。天皇家直轄の「天下御免の許可証」は確
かに存在するという。興味はさらに高まるが今日は歴史探訪ではない、ぐっと飲み込んでタクシー
の待つ蓼畑へと急ぐのである。
 なお、日本コバとは奇妙な山名である。後ろの方で某氏方々はしきりに世界コバとか韓国コバも
あるのだろうかと話している、ご尤もである。ある説では、山ヤの内で一休みすることを一本立て
ると言っていたが(確かにそうでした)この山は二本立てる間に登れるから二本コバ、変じて日本
コバ(コバは小場か?)と呼ばれる様になったそうである。確証はない。現に我がパーティーは三
本コバでありました。そしてまた、今日もありがたいことに快晴に恵まれたのである。
                        記:紀伊埜本 写真:長瀬、奥中、大西(征) 

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