一般例会No.185 丹波・高城山(459m、八上城跡)例会記録
概要 『丹波にあって難攻不落といわれた、八上(やがみ)城。名将波多野秀治と信長麾下(きか)明智光秀が壮絶な
攻防戦を繰りひろげた山城を巡るハイキング。その後で日本一という丹波の(猪)ぼたんなべを味わいましょう。
ハイキング + 歴史探訪No.14 + プラスアルファNo.3。』

 
日時 2010年2月7日(日)
天候 晴れ
担当 紀伊埜本節雄、奥中種雄、柴田弘子
集合 ナンバ府立体育館前 7:30
行程 ナンバ⇒高速道路舞鶴線・篠山口IC⇒八上、重兵衛茶屋〜高城山〜重兵衛茶屋⇒篠山城⇒猪料理奥栄⇒
篠山口IC⇒ナンバ
参加者 青木義雄、紀伊埜本博美、堀木宣夫、近藤さとみ、柴田友宏、田中智子、牧田柳子、西村晶、磯辺秀雄、
山本洋、岡本佳久、吉田伸寛、山下登志子、秋田文雄、小椋美佐、小椋勝久、津川洋子、本郷善之助、
大西征四郎、笠松マサヱ、安岡和子、西村靖晃、仙谷経一郎、畑山庄司、畑山禮子、内杉安繁
・・・ 計29名
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8:39 篠山IC付近からの雪景色。
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9:08 バスの駐車場をお借りした
「みちくさ」前で朝の打ち合わせ中。
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9:11 重兵衛茶屋(参勤交代
の宿泊所)前を登山口へ向う。
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9:14 時代を感じる八上の民家二軒。
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9:17 国史跡・八上城跡の案内板。
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9:28 山頂へ向う。
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9:30 主膳屋敷跡着、
落城後の政治の中心となる館跡
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9:46 山頂へ向う。
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9:49 西より近づく敵に備えた
重要陣地で代表より説明を聴く。
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10:07 雪が溶け出し足元が悪くなる。
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10:17 右衛門丸跡で小休止中。
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10:25 二の丸跡は雪の中。
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10:50 本丸跡で波多野、
明智、織田の攻防戦の話を聴く。
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11:12 藤之木坂道を下る。
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11:23 はりつけ松跡着、
落城の際人質の光秀の母を処刑
に使った松の跡と伝えられている。
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11:35 篠山城跡遠望。
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12:06 はりつけ松を振り返る。
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12:20 駐車場へ帰る。
雪は既に融けていた。
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12:38 篠山城跡着。
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12:44 平成11〜13年に整備
された二の丸跡。右奥に天主台がある。
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12:56 本丸の南東部にある
天主台より見る高城山が美しい。
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15:15 山峡にある一軒屋 
猪料理専門”奥栄” 右には貸切バス
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”素敵な若女将が待っている” 心弾ませての入店
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固唾を呑む序盤戦 神妙に正座して待つ”膝”と”ハシ”
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佳境に入った中盤戦 身を乗り出してのハシ合戦
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中出しの追加”ぼたん”お腹の虫は
少し余裕 おハシも暫し休憩
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近づいて来た終盤戦 徳利の数も忘れがち
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戦い済んで 飲み物の精算に奮闘する世話人さん

 快晴のハイキング日和を向かえた。昨夜に降ったという雪が八上城跡(高城山)一帯に薄化粧を施し、それが
また一層の詩情を讃えている。
 今日はハイキング+歴史探訪の後に+アルファー“ぼたん鍋”がある。だがたとえ喰い気が後に控えていても、
その前に、天正7年(1579年)6月、この山で繰り広げられた明智光秀軍と波多野秀治率いる八上城守備隊
の激闘に思いを馳せねばならない。貸切りバスが予定より早く着いたので、小さな山城をゆっくりと巡ることが
出来た。低山にはめずらしい粉雪を踏み、山頂に至る尾根筋を登る。要所々には、これはと思わせる見張り所が
あり、眺望は満点、眼下には京丹街道が目の当たりにある。「ここに携帯電話があったら戦術は意のままになる
ぞ!」N君の奇抜な発想が出た。
 山頂で一休みのあと、ここが光秀が母の処刑の松、ここがあの重装備の騎馬武者が駆け抜けた尾根と、悲劇の
落城を辿る。やっぱり「よき時代に生まれて来てよかった」と己が安泰を悟るのだが、一度はあの頃の熱気に我
が身を焦がせたい、そう思わぬこともない。人とは不思議な生き物よと思うのである。
 午後から篠山城に向かう。八上城落城のあと、慶長14年(1609年)徳川家康の命でわずか1年の突貫工
事にもかかわらず、天下普請で築かれた堅牢な城壁である。でもなぜか情感が湧いてこない。江戸期250年間
無事安寧のまま廃城を迎えた城と、食欲調整や時間待ちに訪れた我々とが妙にマッチングしたのだろうか、否そ
うではない。「国敗れて山河あり、城春にして草木青みたり」と、城跡はやはり悲劇の落城にこそ似合うのかも
しれない。
 篠山市内から少し入った山あいに、日本一の猪と称する[奥栄]がある。裏山に猪牧場があるが、食べる前に
見るのは禁物である。空腹を食膳に乗せた故か、それとも本当に旨かったのか、皆さん和気藹々のうちに大満足
のようである。外に出れば八上の里に夕暮れが迫っていた。「丹ンバ〜篠ヤマ〜ァ山家の猿が〜ヨイヨイ」その
むかし大声を張り上げて歌っていたデカンショ節だが、実は“山家の猿”は“八上の猿”ではなかったのか?
 「丹ンバ〜篠ヤマ〜ァ八上の猿がヨイヨイ 華のお江戸デ〜ヱ相撲ォ取る ヨ〜ォイヨ〜ォイデッカンショ」
が正調かもしれない。篠山藩主の青山某君主が、華のお江戸に八上の力士を引き連れて行ったという伝承にこれ
で合うだろう。今日もまた思わぬ収穫を得た。
                                   記:紀伊埜本 写真:奥中、西村

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