一般例会No.216 比叡山南山麓を巡る 例会記録
概要 『比叡山山頂から雲母坂を下って山麓を巡ります。雲母坂(きららざか)は
法然や親鸞も通ったであろう京から比叡への古道です。下山後は付近の名物、
湯豆腐などいかがでしょうか。ハイキング+アルファNo.5』
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名残のもみじ豪華版
日時 2010年11月28日(日)
天候 晴れ時々曇り
担当 紀伊埜本節雄、田中智子 
集合 京阪・淀屋橋駅改札口集合 7:45(8:00発 出町柳行きに乗車)
行程 出町柳⇒八瀬比叡山口⇒ケーブル比叡〜比叡山山頂三角点〜雲母坂〜大鳥居
〜瓜生山〜一乗寺下り松〜湯豆腐の店「豆花」
参加者 畑山禮子、安田久美子、谷孝司、武田晴之、本郷善之助、秋田文雄、
大西征四郎、奥中種雄、仙谷経一郎、青木義雄、神阪洋子、横内まみね、
津川洋子、山下登志子、寄川都美子、實操綾子、和田都子、杉本栄子、
上原進一、川下淳子、三原博子、三原知未、小椋美佐、和田敬子、
紀伊埜本博美、柴田弘子 ・・・ 計28名

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ケーブル八瀬駅 まだ朝靄の中の慌ただしさ 9:25
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子供の頃が懐かしい ケーブルの車窓から 
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閉鎖された昔のスキー場 100m程のリフトが1本
すすきが生い茂ったゲレンデは 何となくもの悲しい
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大比叡の山頂 紛れもない一等三角点
(848.3m) 10:40
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陽だまりが恋しい季節 お弁当を開く11:25
 
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雲母坂(きらら坂)の上部を下り始める
叡山と高僧を結ぶ雰囲気が漂う
 
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千種忠顕卿 戦死の地 とある立派な石碑
歴史探訪でお馴染の人 後醍醐天皇の忠臣 
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雲母坂の中段 名残の紅葉に立ち止まる 12:20
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雲母坂から見下ろす洛北の街
尾根の裾に拡がる森は 宝が池公園だろう
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雲母坂から南へ 尾根を横切り谷を渡るそして次の尾根へ
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道中唯一のちょとした登り いろづいた落葉を踏む音が
ただカサカサと心地良い 唇に指をさして「シー」と
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旧白川街道 大鳥居のある合流点に着く 12:55
小さな広場はかって一軒茶屋が在ったろう そのまま
南に谷へ下れば白川に 南西に続く尾根は瓜生山へと
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晩秋の尾根道 大勢で歩んでいても 一人ひとりは
孤独の世界 知られざる我が境地 カッコつけるね!
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瓜生山山頂(301m)14:10 小さな社は狸不動の
奥の院 その裏陰に室町時代の勝地蔵が鎮座されている
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目の錯覚ではありません 正真正銘の壊れかけた鳥居
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奥の院から逆に下がって到着した狸不動本殿15:00
勝地蔵にちなんでか 阪神タイガースの祈願碑がある
それにしては地蔵さんの扱いは悪い 知っていますか?
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湯豆腐の「豆花」正面左側に石庭がありなかなか
の風情です 15:35着
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宴たけなわ 空きっ腹に湯豆腐と「きらら酒」が
しみわたる このためにやって来たのです ああ、

 早朝の大阪ではところにより時雨れていた。しかし嬉しいことに、八瀬の叡山口は総勢26名の大パーティを秋晴れで迎えてく
れた。今日がおそらく今年最後の紅葉日和になるだろう。企画したコースの都合から、スタートはケーブル比叡を利用した。標高
差でいっきに500mも稼ぐと、どこか肌寒い感じ、まさに晩秋という季節が実感できる。
 比叡山(大比叡)山頂は周囲の観光化の中に、ひとつぽつねんと取り残されていた。そのくせ立派な一等三角点である。「なん
や、つまらんなあー」と呟きながら、何となくこの寂しげな山頂に惜愛の情が沸いてくる。不思議な心境である。
 雲母坂(きらら)の降り口まで戻って、普通は登山者が登ってくる坂道を、逆に下って行くことになる。ここからが本日の再ス
タートである。かつて多くの高僧も通ったであろうこの坂道を、汗一つかかずに下っていくのも奇妙な気持である。標高が下がる
ほどに、名残の紅葉が現れるとそのたびに「フォ〜」とどよめき足が止まる。もう10日、いや一週間早ければ満天の紅葉に恵ま
れたと思うが、それは欲と言うものだろう。雲母坂を半ば下ったところから、南へ尾根を横切り音羽川の上流の細い谷を渡ると、
瓜生山(301m)に通ずる尾根道に出る。ここはかっての白川越えの街道の一部である。近江から京に至る街道は他にも在る
が、坂本から比叡山麓を越すこの街道は、最短距離でかつ重要な軍事路である。瓜生山は別名、勝軍山、北白川城ともよばれてい
た。室町時代の後期から戦国時代にかけて、白川越えの街道を制する主要な山城である。応仁の乱のあと、落日の足利将軍のもと
細川政権の役割を担う細川高國をはじめ、この城に関わる攻防戦は幾度もまた幾多の権力者に及ぶが、多くは陰謀と裏切りの巷で、
後世に名を残すほどの名将は残念ながら登場しない。
 旧街道に会した所を大鳥居という(実際に鳥居が立っている)。ここから南西に、瓜生山に至る1時間ほどの尾根道は本当に素
晴らしい。高低差も程よく、洛北の里山にふさわしい自然林に包まれた、静かな山道である。京都周回ルートの標識があるが、行
き交う登山者はまれである。細いがしっかりとした道に、名残の紅葉とその落葉を散りばめた模様は、まるで晩秋の間を行く思い
である。いつまでもこうあって欲しい、そう願いながらも、私自身は総勢26名の皆さんとガヤガヤ賑やかに歩く事に悦びを感じ
ている。この矛盾はなんだろう、難しい事は考えぬことにしよう。
 そして、瓜生山を西に30分も下ると一乗寺下り松である。今日はそこで、京仕立ての湯豆腐に一献頂くお膳立てが待っている。
時刻も季節も天候も総てよし、お腹の虫までよしと鳴るのだからこれを、しあわせ(四合わせ)というのだろう。今日もまた元気
に一日、里山の楽しみを味わう事ができました。 紀伊埜本節雄 記

 一乗寺下り松へ下山して詩仙堂辺りまで来ると、名残の紅葉を求めてそぞろ歩く観光客の間を縫って、今日のプラスαのお楽し
み、湯豆腐「豆花」の京らしい風情のあるお店にたどり着ました。
 甘い大豆の香りに迎えられて食膳に着くと、まずコトコト湯気の立つ土鍋からお豆腐を戴き、湯葉さし、胡麻豆腐、生麩餅田楽、
温泉卵と箸を進めるうちに、あっさり味の鍋が炊くほどにこくが出て、まろやかな舌触りを楽しませて頂だくようになる。ほんに
二様のお豆腐を味わったような気分で、美味しかったと納得できました。ご当地地酒「きらら」も賞味させて頂き、気分は上々、
見回すと皆さんのお顔も笑顔、笑顔。 最後は豆乳の煮汁までしっかりと平らげて大満足のあと、おひらきとなりました。ご馳走
様でした。                    田中智子 記
                                              写真:和田敬子、小椋美佐

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