一般例会No.233 滝畑の無名峰と七望(ななつぼ)流蕎麦道場(天野山金剛寺)例会記録
概要 『滝畑ダムの左岸、和泉と河内を分ける分水嶺にあるP432mとP434mを探ぐります。その後はアンコールに応えて七望流蕎麦道場永井指南役の蕎麦打ちを
見学し賞味します。季節は桜満開の金剛寺・・・・・ハイキング+αNo.7』

 
日時 2011年4月9日(土)小雨決行、荒天の場合は金剛寺14時集合
天候 曇り霧雨のち晴れ
担当 紀伊埜本節雄・田中智子・ゲスト指南:永井文雄
集合 河内長野駅前 8:40 滝畑ダム行きバス乗場(9:04発)
行程 滝畑ダム〜ボテ峠〜P432m〜P434m〜金剛寺(PM3時頃蕎麦打ち見学と花見)⇒(バス)河内長野
参加者 青木義雄・本郷善之助・村本俊弘・秋田文雄・磯辺秀雄・三原秀元・畑山禮子・仙谷経一郎・安部泰子・安岡和子・真下好雄・神阪洋子・柴田弘子・
柴田知宏・徳平忠久・欅田克彦・和田敬子・横内まみね・津川洋子・山田春雄・山田賀予・黒澤百合子・寄川都美子・山下登志子・達健一・達幸子・
安本嘉代・吉田伸實・上原進一・杉本栄子・和田都子・奥中種雄・三原博子・三原知末・川下淳子・小椋勝久・小椋美佐・西村晶・西村靖晃・泉本依里・
大西征四郎・紀伊埜本博美 ・・・計45名
     

滝畑ダム夕月橋バス停で朝の挨拶 1、2、3、各自点呼
 で総員を確認する 9:40

加賀田林道の梨の木トンネルを抜けたところから
梨の木峠へに向かう 先頭から最後尾まで数分かかる
10:15

梨の木峠付近の植林帯 こうして見ると美しい
列の長さが気になるが 霧がほどよくベールする

雑木林の細い尾根 踏み跡が続くが全く自然のまま
ときに伐採を遁れた巨木が点在する 人と自然が調
和した美しさ これが里山の風景だ

三葉躑躅の可憐な咲き始め この頃が一番美しい

次々現れる裸の岩頭 霧に霞む権現山山頂付近
11:47

早目の昼食 プラスアルファー蕎麦に備えての調整
付近に平地はここだけ 往時 狼煙(のろし)台の
守部がここに小屋掛けでもしていたのだろうか?

「猿の前裁」と地図にある 傘をさす猿 服を着た猿
失礼 幻でした いまは「ひとの遊ぶ前裁」

休園閉鎖された滝畑レークパークに出る 辛夷(こ
ぶし)の花か たむしばの花か 栄枯盛衰の残り香
  12:40

ダムサイドのバス停 定期便の積み残しを想定して
臨時バスを手配してもらった Nバス社さんに感謝
13:15

天野山金剛寺 別称 女人高野 見事な桜満開を
迎える ようやくの雨上がりだが 人影は少なし
13:40

寺院の一角にある天野会蕎麦道場 七望流の蕎麦打ち
教室で 売店でもなし食事処でもない
14:25

二八蕎麦一キロの練り合わせ 永井指南役の手捌き
は鮮やかだ ときに渾身の力を込め あるいは軽快
に捌く これはクライミングと同じリズム

四角形に伸ばす七望流の極意 1.2ミリの薄板で
どこにも綻びがない 修業のたまものか お見事

巾も1.2ミリに刻む 出来上がりの束は素麺と同じ
勿論 腰も味も似て非なるもの これを大釜で茹でる

最初のひとざる 至極のひと口 美味い!旨い!

EPEでは稀有な存在 若い二人 窓には満開の桜

まだまだ黙々と戴く瞬間 後ろのテーブルも声なし

幾ざる目かの真剣勝負 これからが通の味わい

ここにも稀有の存在 だいぶ戴いたかな 余裕のポーズ

一抱えもある大ざるを前に しばし休戦 これから
追い込み こんな幸せ あるでしうか
     

 昨夜来の雨も集合場所の河内長野ではしっかり止んでいた。今日の企画は滝畑ダムの左岸の尾根をボデ峠からダム下まで、
できれば金剛寺まで下って、蕎麦道場まで直行する目論みであった。しかし先々週に下見したところ、これが意外にきびしく
短時間では到底こなせないことがわかった。それに参加者は40名を超えたという、もしか遅延して、あとに続くプラスアル
ファー蕎麦道場への期待を裏切ることは許されない。山が大事か、蕎麦が大事か、それは問うまでもない。
 ダム右岸の権現山を登ることにした。夕月橋から加賀田林道の梨の木トンネルを抜け、そこから梨の木峠に出る。40数名
が一列に歩むとさすがに長い。先頭の動きと最後尾の動きは、まさに長蛇の如である。トンネルの上は植林帯であったが、や
がて、雑木林の小さな細い尾根を進むようになる。気がつくとまわりは濃い霧につつまれていた。里山の雰囲気は満点である。
眺望は全く無いが、それがかえって深山幽谷?の趣さえ感じられて心地よい。
 権現山の山頂付近は、裸の岩頭が点々と現れている。猿の前栽と地図にあるが、誰が名付けたのか猿が戯れるには丁度よい
岩場だ。また、ここを権現山城跡と書く地図もある。東に旗尾山、近くに旗倉山と続き、南には猿子城山と並ぶと、いずれも
顕著な山容であることから、その役割は明らかである。少なくともこの権現山は、狼煙(のろし)台以外になんの戦略的な意
味も無いだろう。が、いま視界零のなかでふと思うことは、あの時代に、ここに山城在りと表明する事による戦術的価値、戦
術的意味が大いにあったのではないかと、漠然とした思いを巡らせてみた。案外これは当を得た答えかもしれない。
 昼には少し早いが、蕎麦向きの空腹を調整するためここで昼食とした。空は何時の間にか傘を出したくなるような霧雨に変
わっていた。晴れた眺望を待ち望んでいたが、無いものねだりは無駄である。そうなれば、ダムサイド14:20のバスに乗
る予定を13:27に変更した。下山路は権現山の南のコルから、踏み跡をたどって西に下り、小さな谷をひとつ渡って最短
距離で滝畑レイクパークに出た。公園は2年前から既に休園閉鎖されている。「なんだ、ここですか?」と、かつて子供連れ
で遊びに来たことのある人は口々に言う。そういえば、このダムの建設が始まったのは40年前、昭和48年である。白州正
子著「かくれ里をいく」はその少し前の滝畑村落の孤高の様をよく捉えていた。そのまだ昔、蕎麦道場のある天野山金剛寺は
この滝畑を支配した荘園の主であった。そんなことから、古くは南北朝時代、近くは小田原合戦で敗れた北條氏直が隠れ棲む
など、この地と貴人とのかかわりは多い。いまも滝畑では気品漂う人をよくみかけるという。だが申し訳ないが、我が仲間達
はそんな想いとは裏腹に、調整済みの空腹をグゥとならし、ただらひたすら先を歩むのである。
                                          紀伊埜本 記
 女人高野金剛寺の一角に七望流蕎麦道場がありました。その道場の指南役永井文雄さんの蕎麦打ちを見学し、あわせて賞味
させて頂くイベントが待っていました。今回で2度目のお世話になりますが、前回(2年前)があまりにも好評であった為、
アンコールした企画に45名ものメンバーが集まり、道場の方々を驚かして仕舞いました。
 先ずは、七望流会長のご挨拶と説明を頂き、永井指南役の蕎麦打ちに入りました。中力粉2、蕎麦粉8の二八蕎麦で、鮮や
かな手捌きのうちに、一キロの粉が厚さ1、2ミリの板にみるみる伸ばされて行きます、何度か折りたたんだあと、1.2ミリ
の巾に刻み込まれる手元はとてもリズミカルでした。桜満開の景色に圧倒される二階の大広間に案内され、いよいよ待望の賞
味が始まりました。薫り高く茹で上がった蕎麦に刻みねぎ、辛味大根おろし、わさび、天かすなど、薬味を自由にからませ、
ツルツル腰のある蕎麦が心地よく喉を通る、美味しい!美味しい!の歓声があちこちのテーブルから上がります。次から次と
運ばれてくる大に一斉にのびる箸、あっという間に空になる有様はお見事でした。道場では45名の私たちに200人前のご
用意を下さいました。そのうえ、打ちたての生蕎麦のお土産まで頂戴し心行くまで堪能させて頂きました。
 永井文雄さん(泉州山岳会)はかって日本を代表するクライマーとして活躍されたそうで、今は蕎麦打ち一筋、いや登山に
継ぐ二筋目の道を極めようと(代表談)邁進されておられます。ますますのご活躍をお祈りいたしますとともに、七望流会長
をはじめ、何もかもお世話を下さいました道場の皆様に心からお礼申しあげます。
                                           田中 記
                  記:紀伊埜本節雄・田中智子 写真:西村晶・上原進一・紀伊埜本博美

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