一般例会No.254 紀州・飯盛山(746m)例会記録
概要 『高野山への7つの古道の一つで、麻生津(おうつ)峠を越えていくルートから、南北朝時代の歴史を偲ぶ 飯盛山に登ります。』
 
日時 2011年11月23日(水・祝日)
天候 晴のち小雨
担当 三原秀元、大西恒雄
集合 7:30 南海・難波駅3F改札前(7:48発 高野山行急行に乗車)
行程 難波駅⇒橋本駅乗換え(JR和歌山線)⇒名手駅〜麻生津〜県道分岐〜麻生津峠〜飯盛山(往路下山)〜名手駅
参加者 宮平由紀子、欅田克彦、寄川都美子、近藤さとみ、小椋美佐 ・・・ 計7名

9:23 JR和歌山線・名手駅、ここから今日のハイキングが始まる

麻生津(おうつ)橋付近から見た飯盛山方面の山々

道標完備(?)

高野山へ続く麻生津道(かつての高野山参詣道)

10:00 高野街道を示す道標

「右高野山大門五里」と刻んである

将棋駒の形をした碑、その名も「将棋石」

第二高野街道六地蔵(数えていなかったが、六つあるそうです)

傾斜がきついので、こんな石垣の上に家がある

10:35 堂前の地蔵、「休憩所」の東屋がある

柿畑やみかん畑の中に峠への道(舗装道)がある

専用の収穫用運搬車(レールがみかん畑の中に張りめぐらされている)、
鋸歯状の刻みがレールの下につけてある(どんな傾斜地でもOK)

両側の木がトンネル上に被いかぶさっている所を
通る(ガイドブックにも載っているそうです)

道路工事でみかん畑を削った所で見られた地層断面(石垣に使わ
れている石はこの石か? 地表2mぐらい下で層になってある)

斜面に広がる柿畑

11:36 麻生津峠にある休憩所、ここには弘法大師の作と
伝えられる石造りの「十一面観音像」が安置されている
(横に十一面観音茶湯所の史跡と記した石柱が立ててある)

峠から飯盛山への道(舗装されている)、直進
(左)は高野山へ続く、飯盛山は右の方へ

飯盛山への道(広い舗装道が直下まで続いている)

こんな所に教会がある(訪れる人もなく、今は草の中に寂れている)

飯盛山荘(今は人の気配がないが、堂々とした
4階建ての建物、バブルの頃に建ったらしい)

鮮やかな紅葉

12:51 下からも見える城(復元された?飯盛城)

飯盛山と飯盛城の沿革が書いてある説明板

神路原(こうろばら)神社案内図(これによると、飯盛城は神路原神社
開祖を祭ってあるらしい。すると、飯盛城を復元?した人は関係者か?)

広い道から急に山道となる(僅か200メートル程で山頂に着く)

13:19 飯盛山頂(展望はきかない)

埋もれかかっているが三角点標識

13:36 往路を下る(山の道らしく見え
るが、すぐ軽四が通れそうな広い道に出る)

 飯盛山は文字どおり、お茶碗に飯を丸く盛り上げたような形の山の意で、米食を中心とした日本民族が昔から親しみを
込めて眺めていた山であるゆえ、全国に同名の山が数多くある。関西だけでも5つ位はあるだろう。この度の紀州飯盛山
は中腹までみかん畑や柿畑で登山の魅力には少し欠けるが、高野街道七口の一つ大門口へ続く麻生津(おうつ)峠道をセ
ットにして登ってきました。
出来るだけ旧街道を忠実に行くことにする。麻生津の集落の道筋には「麻生津村道路元標・高野山大門五里」という古い
石標が残っており、街道筋には古い家並みが要所に残っている。六地蔵や大師の井戸などの旧跡も多く、舗装された道で
はあるが退屈しないで歩くことが出来た。
最近は訪れる人もまれなのか農家の人たちは皆な親切で我々遠来の訪問者にみかんや柿などを持たせてくれて暖かく迎え
てくれる。ここには未だ日本の良き時代の人情味が十分残っていて嬉しくなってくる。
麻生津峠からは紅葉真っ盛りの尾根道を行く、ここは南北朝時代北条一族と楠正成軍が戦ったと言われる場所でもあり、
1970年頃に建てられたらしいこの山には不釣合いな観光用のお城や宿泊施設もあるが今は廃墟となっている。自然の
中に作った建造物は使用している間は許されるとしても、使用されなくなるとゴースト化して不気味な感じさえする。建
てた者の責任で速やかに撤去すべきだと思う。飯盛山の頂上は潅木に覆われて展望こそないが二等三角点がありしっとり
とした落ち着いた感じのするところだ。山頂周辺には曲輪(くるわ)という濠の跡があり兵どもの往時が偲ばれる。
 下山も同じルートで下る。紀ノ川を眼下に正面は和泉山脈が連綿と続いているのを眺めながらJR名手駅へ急ぐ。

                                          記:三原、写真:大西(恒)

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