一般例会No.267 滝畑の無名峰(432mと434m)例会記録
概要  『滝畑ダム左岸、和泉と河内を分ける分水嶺を探ります。道の無いハイキングです。地図と磁石と山カンが頼りの
 楽しいハイキングは如何ですか。』 
日時 2012年3月18日(日)
天候 終日小雨
担当 紀伊埜本節雄・西村晶
集合 8:40 河内長野駅前集合(滝畑ダム行9:04発乗車)
行程 滝畑ダム〜ボテ峠〜P432m〜P434m〜金剛寺⇒(バス)河内長野
参加者 福田直也、川下淳子、吉田伸實、杉本栄子、真下好雄、和田良次、和田敬子、寄川都美子、寺島直子、
三原博子、三原知未、欅田克彦、紀伊埜本博美、西村美幸、谷村洋子、安本昭久、安本嘉代 ・・・ 計19名

9:45 滝畑ダム終点着  今日は曇空との予報を信じているが 雨がパラパラと降り
だしてきた。 雨中の藪漕ぎは大変だ でもやがて止むものと疑わない




ダム左岸の集落からボデ峠への山路 こんな植林に変わってから もう久しい
夏の焼付くような盛り ボッカ訓練にいそしんだ頃の記憶は ボッカボッカの他は
何も無かった 人の生き様は様々に変わる
 
 

10:36 ボデ峠に着く 天秤棒に荷を担いで商いをする様をボデフリというが
ボデ峠の語源はここから出たようだ 西へ谷一つ越えると槙尾山施福寺へ 南に急峻な
尾根筋を登ると猿子城山へ 峠は施福寺が盛んな勢力を誇る頃 滝畑からの隠れ補給路
であったろう 施福寺は和泉の国 滝畑は河内の国である


今日の私達は峠の尾根を北へ 道も標識もない古(いにしえ)の国境(くにざかい)を
踏み分けて行く 同時にこの尾根は和泉山脈の末端であるが 両国の分水嶺である


  

道の無いハイキング それが今日の目的だ それでもわずかな踏み跡を拾うことが出来
る 藁シベを結んだ目印がところどころ見られる これは地元の人の必要なものだろう
尾根筋は 小さなピークが西に東に少しづつずれ込むので 地図を読むと言うより地形
を読むのに結構手間どる 間違がって引き返すこともたびたびあるが それでも面白い  
  

11:31 2回目の休憩をとる 想定外は雨が止まぬことだ 左右東西の視界が閉
ざされるので 地図読みの効率が違う 手元の濡れるのも煩わしいが 不慣れな人に
とっては雨そのものが不安の対象だろう 熟練者の励ましのジョークが常に飛び交う
 

12:11 P432を越して 小さな鞍部を後にする 塩降トンネルはこの鞍部の
下を通過しているはずだ 行程の半ばは来た事になる 意味のない無粋なテープマーク
もこの先は消えている
 

12:32 3回目の休憩 雨は上がるようにもみえたが 先の行程からゆっくり
昼食は摂れない 幸いEPEでは休めば食べる習慣がついているので 状況に応じて
初心者もしっかり対応できている いいことだ



雑木の密度が高い しっかり雨を含む樹木は 触れればバラバラと水滴のシャワーを
浴びせる 雨に濡れるか カッパに蒸れるか その境目がきたようだ
 
 

尾根幅が広くなって来た 実はこの方が方向を見定めにくい 相変わらず視界はないが
かすかな気配から サイクルセンターの近いことを知る 一帯は倒木がのたうつている

14:13 4回目の休憩 携帯電話のエリア内にはいった。残り1時間ぐらいで
終着点の金剛寺に出たい 尾根通しこのまま初志貫徹しても時間に大差は無いだろうが 
雨に濡れて体力の消耗を見せている人もいる 無言のシグナルを見逃してはならない
  

サイクルセンターまで最短距離を選んだ その代り急角度だ 薄暗い植林帯の下りは
細心の注意が必要だ 踏み跡は全く無い  

サイクルセンターの裏に出た ここはフィルドアスレチックの施設があったようだが
いまは残骸で 要所にゲートが3ヶ所もある それを次々避けながら古い公道に出た
あとわずかで 尾根筋の完走を逃したが 今日はこれで充分な成果を得た



15:10 金剛寺に至る 昨年の桜に代わり 今年は梅が満開で迎えてくれた
歩行時間は予定の範囲で収まり 雨はここにきてやっと止む ご苦労さまでした


予告外だが 金剛寺そば道場の永井氏に電話を入れていた 彼は山岳会の現会員
かつて日本を代表して 山岳同志会の坂下直枝氏とアイスクライミングの発祥地
イギリスに派遣されたキャリアの持主 今はそば打ち4段の腕前 但し念のため 
そば屋さんではありません
 

熱い鴨だしの付け汁で食べるざるそばは絶品 雨に濡れた衣類を着替え、暖房の効く
大広間で満腹すれば 何も云うことはなし 慎み深く振舞うこともつい忘れてしまう  
   

 面白い例会を創ろう、ユニークな例会を組みたい。それは、参加者に楽しんで貰えるばかりではなく、
つまるところ企画者、リーダー自身の喜びでもある、そう思いながら常に例会企画に取り組んでいます。
しかし、ときには今日のように、雨に祟られると途端にレベルアップの状況に迫られます。不慣れな方に
は、今日のハイキングは少しきつかったかもしれません。例会作りはこれで結構難しいものです。
さて滝畑は、白洲正子氏の著書「かくれ里・・・」にとりあげられています。地理的にみても河内の山の
西南の隅っこ、しかも、その咽元を格式高い金剛寺(南北朝時代の南朝の行宮)にしっかりと抑えられて
います。今日も歩いてきた尾根筋には、金剛寺の寺領を示す石標が点々と見られました。かつて滝畑はそ
の寺領であったことは確かです。つまり、地域全体が相当昔から、隔離された「隠れ里」の条件を備えて
いたと言えるでしょう。戦国末期には小田原北条氏落城の後、当主北条氏直はこの滝畑に幽閉され、ここ
で亡くなっています。それだけこの地域の閉鎖性が高かったことを示しています。
 有難いと思うことは、今日実際にその道の無い国境の尾根を歩いてみて、霧に包まれ滝畑の「隠れ里」
的要素をあらためて実感できたことです。
 過去、EPEの例会として滝畑を挟む右岸の尾根も、旗倉山から一徳坊山、権現山から梨の木峠。さら
に、地域全体を取り巻く三国山、灯明岳、南葛城山、岩湧山など、それらに至る数多くの谷筋含めますと
数十回にわたり取り上げてきました。しかしそれらの実績の大部分は個別のもので、何の脈絡も無く見て
きましたが、ここであらためて思うことは、これらの実績を総合してこそ、はじめて滝畑の「隠れ里」的
全体像が本物の実感として浮んできたと思います。これは大きな意義のある実証です。有難いことです。
 他にも、このような楽しくユニークな領域が身近な山にあるかも知れません。そう思うとEPEの例会
はどの分野でも、まだ種切れするどころか、いよいよこれからが佳境に入ります。
 皆さん、元気で健康であるかぎり、EPEクラブの存在を高めましょう。そしてハイキングの味わいを
楽しみましょう。
                         記:紀伊埜本節雄 写真:西村晶、紀伊埜本博美

 
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