一般例会No.276 ベーシック登山No.13 高瀬山(340.6m)例会記録
概要 『京都明智越え、光秀が本能寺を攻めた時通過した歴史ある古道。』
 
日時 2012年6月30日(土)
天候 晴れ・曇りのち雨
担当 秋田文雄、大西恒雄
集合 8:45 JR大阪駅中央改札口(9:00発 新快速長浜行き乗車、京都駅下車、山陰本線9:38発 園部行きに乗車)
行程 亀岡駅〜峯の堂跡〜土用の霊泉〜高瀬山〜保津峡駅
参加者 青木義雄、上原進一、和田良次、和田敬子、真下好雄、岸田暎子、喜多田恵美子、三原知未、三原博子、寄川都美子、
近藤さとみ、實操綾子、磯辺秀雄、堀木宣夫、横内まみね、山下登志子、和田都子、片山純江、藤田喜久江、紀伊埜本博美、
山本洋、齋藤容子、吉田伸實、欅田克彦、小杉美代子、谷村洋子、安本嘉代、西田保、大石隆生、高木恵美子、戸田晴子
・・・ 計33名

10:15 亀岡駅前で今日の概要説明と点呼の後出発。

午後には雨との予報だが今は晴天の保津橋を渡り登山口を目指す。

10:59 保津城口(通称:簾戸口)から山道
に入り、明智越ハイキングコースを進みます。

11:58 峯の堂(むねんどう)の横を通り尾根に出る。

12:18 コースを確認中のちょっとした休息。

12:28 このような交差する送電線の鉄塔は有用な道しるべ。

昔の道標か?

13:20 高瀬山の三等三角点にタッチ。

高瀬山山頂で小休止。

13:44 今回のコース唯一の絶景。

しばし、絶景観賞。

14:04 小川を渡り下山中。

14:40頃、保津峡駅に近づいたところで小雨がぱらぱら。

14:54 保津峡駅到着。リーダーの挨拶と
点呼を終えて17:22発京都行きで帰路へ。

JR亀岡駅北口で出発準備し目の前に牛松山と明智越えの尾根を眺め保津川の橋を渡る。橋下に保津川下りの乗船所あり、
此処より船で嵐山迄下る。橋を渡り初めての信号を右に入ると保津町の集落に文覚寺の上に標識あり此処から山手に登る。
しかし今日は梅雨の合間で天気か曇りか解り難いしかし蒸し暑い簾戸口に、着いた頃ひと汗かかされ先の暑さが思いやられ
る。「明智越え」愛宕山に参拝する道であった。光秀は庶民や騎馬武者が容易に通れるように整備したと言われている。明
智光秀が15000騎の軍を北より明智越え・唐櫃越え・老ノ坂越えの三面より本能寺に向かったと、伝えられている。こ
こから山道はしっかりと踏み固められているが登るにつれて雨でVカットされた所もあり一息入れた頃に峰の堂に。光秀が
本能寺攻めの必勝祈願をここでしたとも言われ、一応成功したが天王山で秀吉に敗れ、峰の堂の「峰」を「むね」と読ませ
た。それから「無念堂」と言われている。これより気持ちの良い尾根道に風も吹き抜け快適な気分で悠久の思いで騎馬武者
が意気揚揚と通った、山道を想像して夢みたいな妄想をさせてくれるロマン街道だ。「土用の霊泉」夏の暑い土用にも涸れ
ない霊泉、今は涸れている。この霊泉で三七草をつけて蘇らせ鎧の袖の下に秘めて進んだと伝えられている。(三七草は薬
草で葉は虫刺されや血止に根は吐血や強壮薬として使用されていた)ピーク400mの下を巻いて、尾根道を水尾と高瀬山
分岐に緩やかな尾根道を高瀬山(340m)三角点は頂上より少し下の登山道の横の雑木林の中で見落とし易い。保津川に
向って下ると、送電線の鉄塔の真下にコースの中で愛宕山や牛松山見えていたがここからの景色は山間に保津川にJR山陰
線本線鉄橋、電車が走り子供の頃の絵本を思い出すような、コース一番の展望です。あとは巡視路に注意して亀岡・保津分
岐へ保津方面まもなく林道松尾谷線あとは車道を。心配していた雨がポッポッと降りだす。快適な山歩き最後は足早に保津
峡駅に全員元気に解散。
                                             記:秋田 写真:上原

山域別例会記録一覧へ 年度別例会記録一覧へ TOPページへ