一般例会No.279 丹生・稚児ヶ墓山(596m)例会記録
概要 『義経軍勢が鵯越の奇襲に通ったという伝説のルートを経て、悲哀の伝説が残る丹生山系の名山を巡ります。』
 
日時 2012年7月22日(日)
天候 晴れ
担当 野原勇、杉本康夫
集合 7:10 阪急梅田駅3F改札口前(7:20発 新開地行き特急に乗車)
行程 阪急梅田駅⇒新開地⇒箕谷駅⇒(バス)衝原〜丹生山〜帝釈山〜岩谷峠〜稚子ヶ墓山〜肘曲り〜大滝口〜箕谷駅
参加者 福田直也、欅田克彦、近藤さとみ、寄川都美子、紀伊埜本節雄、紀伊埜本博美、小杉美代子、安本昭久、谷村洋子 ・・・計11名

阪神大震災にも耐えた重要文化財の箱木千年家、登山前に塀の外から。

9:20 義経道をたどって丹生山への登り口

9:40 ここより高い向かいの住宅地が望まれます。

10:15 丹生山城の説明板

10:20 丹生城跡の丹生山に到着

丹生山頂の丹生神社、平成になって修理・改修され立派になっいます。

11:15 帝釈山頂上、ここから須磨アルプスや明石海峡大橋が望まれます。

13:30 雑木に囲まれ展望が望めません。

13:40 ここからも南側の展望が開けすこぶる爽快です。

14:35 石ころの多い歩きにくい谷道から林道に出ました。

15:30 暑い中舗装道路を抜けやっと箕谷駅に到着

 過去の例会記録を見ると、今回計画した丹生山も稚児ヶ墓山もコースは今回のコースとは異なっていますが登られています。
しかし、以前から稚児ヶ墓山という悲哀を帯びた珍しい山名に興味を持ち、私自身一度は登ってみたいと思っていた山でした。
先ず山に入る前に、伝承によると大同元年(西暦806年)に建立されたという日本最古の民家「箱木千年家」に立ち寄った。
この家は「まんが日本昔話」に出てくるおじいさん、おばあさんが住んでいる藁ぶきの家そのもので、生垣越しに覗いただけで
すが、生涯二度と再訪することはないであろう歴史遺産に触れた感じがしました。今回の義経道から登るコースは道標も多く迷
うような所はなかったが、粘土質で水はけが悪くロープを張った急坂が多い。またインターネットで調べると登山口が分かりに
くいということが数多く記されておりました。バス停から登山口までは距離も短いが、案内板等は一切なく確かに初めてだと迷
うであろうこと納得。最初のピークである丹生山頂上には無住の丹生神社が鎮座しており、その手前の丹生城跡・明要寺跡に立
っていた絵入りの案内板を見ると平清盛の庇護を受け大伽藍を擁し僧兵も抱えていたようであるが、羽柴秀吉による焼き討ちで
灰燼に帰したとのことで昔日の華やかさは現在は微塵も感じられない。焼き討ちの際に秀吉の軍勢に追われた稚児達が山に逃れ
たが、山頂近くで惨殺されたという悲劇の歴史から稚児ヶ墓山と名付けられたようです。このように源義経、平清盛、羽柴(豊
臣)秀吉など歴史上の人物が関連するコースで登山道も整備されていますが、ほぼ樹林帯を辿るため丹生山や稚児ヶ墓山の稚児
の墓がある個所等ほんの一部が切り開かれて展望がきくだけで、全体としては展望の期待できないコースです。今回は昨日のベ
ーシック登山(一般例会NO.278 京都・牛松山)に引き続いての例会山行だったので、参加者はひと桁になるのではと予
想していましたが、計11名と担当者としては丁度よいコンパクトな山行となりました。EPEクラブの担当になって以来、2
0名以上の山行が続いていますが、このようなコンパクトな山行の良さをあらためて感じた次第です。
                                               記:野原 写真:杉本

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