オプション例会No.92 熊野古道・大峰奥駆け道を行く。そのU 例会記録
概要 『大峰道の最終区間、玉置山から熊野まで修験者達の
    感涙の道を行く 熊野古道シリーズ第7弾。健脚向き』


玉置神社付近の石楠花
日時 2008年5月24日(土)〜25日(日)
天候 24日:終日雨、25日:雨のち曇り
担当 紀伊埜本、奥中、ゲスト講師 野口秀也 
集合 南海高野線 中百舌鳥駅 7:50集合 8:00出発
行程 5/24 中百舌鳥駅(08:00)⇒R310、R371⇒河内長野⇒橋本⇒
京奈和⇒五条⇒R168⇒大塔村・道の駅吉野路大塔(休)⇒道の駅・
十津川郷⇒滝⇒R425小川⇒林道大谷線・展望台(12:35)〜玉置山
(13:18)〜玉置神社(13:44)〜駐車場(14:22)⇒
民宿うらしま(15:00)
 /25 民宿うらしま(06:00)⇒本宮辻(7:05)〜大森山
(8:45)〜五大尊岳(10:27)〜六道ノ辻〜大黒天神岳(12:35)〜
吹越権現〜七越峰(15:06)〜本宮町・備崎橋(16:17)⇒R311
⇒田辺IC⇒堺IC⇒中百舌鳥駅(19:50)解散
参加者 大西(恒)、黒澤、青木、西田(保)、板谷、小椋、田中(智)、
畑山、柴田、横内、欅田、神阪(洋)、岩崎(真)、近藤、松本、
徳平、山下、堀木    ・・・ 計21名

5/24 12:35 奥駆け道と隣接する
「林道大谷線」の展望台(トイレ完備)
に到着。 ここでバスを降りる。

12:46 リーダーから注意事項を聞く。

12:57 少し林道を歩き、ここから
奥駆け道へ入り玉置山へ向かう。
 
   
13:18 玉置山山頂(1076m)着、別名「舟見嶽」の標示も。  

13:34 山頂付近は石楠花の群生、花がまだ残っています。 

13:44 玉置神社へ下山。 
13:49 玉置神社にて、荘厳な本殿です。  

13:52 神代杉、目通8.4米、
高さ28米、樹齢3000年の標示。



17:56 「民宿・うらしま」 話が弾む夕食です。 
   野口講師の一口解説
奥駈け道とは
熊野へ向う奥駈け道は特に難行苦難の道である、難路を選ぶ修行者達は、困難であれば
あるほど人の世の罪穢を滅ぼし幸福になると言う。
 近畿の屋根、大峰山脈は紀伊半島のほぼ中央に位置し、標高1700m級の山々が連
なり、吉野から熊野に至る180キロの道程は修験者の聖地で、5月3日から9月27
日までは山上ケ岳を中心に白衣の修験者で賑わう。奥駈け道は現在吉野から熊野へ向う
「逆の峰入り」が一般的で、吉野から前鬼までを「前半」前鬼から熊野までを「後半」
としている。修行としては吉野から山上ケ岳を経て弥山、釈迦ガ岳から前鬼に下り裏行
場(靡き第28番)で修行したあと、太古の辻へ登り返し行仙岳、笠捨山、玉置山を経
て吹越の宿から備崎(そなえざき)へ下り、旧地・大斎原(おおゆのはら)の熊野本宮
大社証誠殿(大峰靡き第1番)に至って峰入りが終わる。(靡きは「世界遺産・熊野古
道を歩こう」の251ページを参照下さい)
 古の熊野本宮大社は、熊野川と音無川の合流点の旧地・大斎原に鎮座していたが、明
治22年の大洪水で社殿が一部流失したため、現在地に遷座された。
 

5/25 7:05  夜通し降った雨は
止む気配がないので、本宮辻(玉置辻)まで
バスで移動し、ここから奥駆け道へ入る。

8:59 大水ノ森(1045m)着、
ここに大森山の三角点があります。
 

9:45 切畑辻着、一休み中。
 
 
 
10:27 五大尊岳(825m)着。   

10:38 五大尊岳を過ぎる頃、雨も
止み、雲間からかすかに熊野川が見える。

11:45 少し早目の昼食です。
 

12:15 金剛多和の宿跡着。

12:52 吹越峠付近に到着、爽やかに晴れた。
熊野川を挟んで、西方の山並みが見え出しました。

13:42 七越峯へ向かう。

14:52 道は更に山脈南端に向って続く、
眼下に熊野大社旧地、大斎原が見え出す。 

15:06 七越峯公園(262m)着、トイレタイム。 

16:01 備崎経塚跡に到着。
ここが感激の大峰山脈終着点。

16:07 備崎経塚群の跡、
実物は埋葬されている。

16:17 熊野川に降り立ち備崎橋を渡り
待っていたバスに乗る。 帰路はR168の
状況を予測して、R311経由で田辺IC〜
堺ICへ変更し、中百舌鳥駅19:50着。
   そのTに続きそのUも雨で始まった。小雨に煙る玉置神社はいっそう荘厳である。山頂
までのルートを一部カットした余裕で、神社の奥に立つ樹齢3千年の大杉を訪ねる。見事
な巨木である。樹肌の張りと云い、艶と云い屋久島の縄文杉を凌ぐ力強さである。
 翌朝はさらに激しい雨。足元はぬかるみよく滑るので寸時の油断もできない。とくに五
大尊岳の下りは地図では読めないかなりの悪路である。片手傘で連なるように下って行く
仲間達を上から見守る私の目には、ただ開いた傘が見えるだけの急勾配である。だが不思
議に何の不安も感じさせない、危なげがない。この歳で、この活動ができる仲間達に心か
ら「ようやるわ」と喝采を送る。 午後からようやく雨も上がりやがて視界が広がってき
た。すると、あの長大で雄雄しかった大峯山脈が左右両側から次第に北山川と十津川に迫
られ、包み込まれるように消え去ろうとする光景を目の当たりにした。そうか、修験者た
ちがここに来て感涙の極みと泣いたのは、けっして抹香臭いものではなく、今ここで私達
と同じ様に、眼下に広がる大山脈のその終焉に惜別の情を抱いたのではなかろうか。 奥
駆け道はさらにその想いを高めるように、山脈の最期の最期まで緩やかな上下を繰り返し、
ついに降り立ったところは熊野川と名の替わる大地でした。「ああ、 終わった!」 誰
もが何か胸打たれる思いで、次々と奥駆け道終了の道標に手を添えて行った。
                       (記:紀伊埜本 写真:奥中、板谷)
 
     
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