オプション例会No.103
熊野古道・御幸道(中辺路)の代表コースを行く 例会記録
概要 『熊野古道の古典、滝尻王寺から発心門まで中辺路の核心部を行く。
熊野古道シリーズ第8弾』
日時 2008年10月18日(土)〜19日(日)
天候 二日間とも晴れ
担当 紀伊埜本節雄、奥中種雄、ゲスト講師 野口秀也 
集合 南海高野線 中百舌鳥駅 7:50集合 8:00出発
行程 10/18  中百舌鳥駅⇒泉北1号線⇒泉北2号線⇒堺IC⇒田辺IC⇒R311・滝尻バス停
(10:30)・滝尻王子参拝(10:40)⇒ドライブイン古道の里・中辺路(11:00)〜高原熊野神社
(11:44昼食12:10)〜大門王子跡(13:10)〜十丈王子跡(13:45)〜悪四朗屋敷跡(14:11)〜
上和田茶屋跡(14:44)〜大坂本王子跡(15:27)〜箸折峠・牛馬童子(16:07)〜近露王子跡(16:27)
〜民宿・ちかつゆ(16:40)                       6時間10分の行程

  /19 民宿(バス6:55発)⇒R311・小広トンネル出口(7:03準備7:15)〜熊瀬川王子跡
(7:24)〜草鞋峠(7:43)〜岩神王子跡(8:40)〜おぎん地蔵(9:27)〜蛇形地蔵(9:48)〜 湯川
王子跡(10:18)〜三越峠(10:50)〜船玉神社(11:54昼食12:15)〜猪鼻王子跡(12:26)〜発心門
王子跡(12:45〜13:10)〜伏拝王子(13:36〜14:00)⇒R311・田辺IC⇒堺IC⇒中百舌鳥駅
(18:10)解散                                7時間の行程
参加者 三原秀元、松本明恵、紀伊埜本博美、高木恵美子、堀木宣夫、欅田克彦、近藤さとみ、西田保、
横内まみね、青木義雄、中川雅嗣、小椋美佐、畑山禮子、柴田弘子、田中智子、神阪洋子、
岩崎真美子   ・・・ 計20名

10/18 10:33 滝尻王子宮境内で朝の挨拶。
  

10:33 熊野古道・中辺路のスタート点、
滝尻王子にある立派な標示板。 

10:34 滝尻王子の説明板。
 

10:37 二日間の無事を願い参拝。
その後バスで向田へ移動する。

10:58 ドライブイン古道の里
・中辺路で出発準備中。
 
11:44 高原熊野神社着。

12:05 休憩所からの山並。笠塔山、果無山脈遠望。 

12:36 石畳道を大門王子へ向かう。

13:06 大門王子着。

13:10 大門王子の説明板、この
王子は中世の記録にはない。熊野本宮
の大鳥居があったのでは・・・。

13:32 笠塔山遠望。



13:46 十丈王子跡で休憩中。


14:05 小判地蔵前を通過中。

14:06 小判地蔵です。小判を
口にくわえて、飢えと疲労で倒れた
巡礼者を弔い建てたもの。

14:44 上多和茶屋跡の説明板。 

15:00 三体月伝説の説明板。 

15:06 細い林道へ出る。

15:27 大坂本王子跡。

16:07 修復された牛馬童子。花山法皇の
旅姿と言われている。右は役ノ行者像。
 

16:27 「近露王子之跡」の碑。

16:32 近露王子跡の説明板。

16:37 日置川の岸に建つ民宿・
ちかつゆ。今夜の宿です。親切にして
いただきました。感謝です。 
野口講師の一口解説
中辺路とは
 世界遺産登録以前は、「熊野古道」と言えば「中辺路」が代名詞でありました。滝尻王子跡から熊野本宮大社へ歩く人も少なく、静
かな街道雰囲気を味わえましたが、今日は残念ながら熊野銀座と様変りしています。今回二日目に歩く岩神バス停からの道は通る人も
少なく、発心門王子跡までは古道の核心部の雰囲気を味わえますので期待してください。中辺路は「御幸(ごこう)路」とも呼ばれ、こ
れは平安時代に皇族や貴族が熊野詣でのために利用した道筋であるからです。そもそも「熊野古道」とは後世につけた名称で、全てが
熊野三山詣での道筋で、多くの参詣者は京から淀川を下り、摂津の窪津(天満)に上陸して「紀伊路」を南下して行く。和泉から雄ノ
山を越え紀伊ノ国へ入り、御坊から海伝いに田辺へ向い、田辺から山中深く分け入って熊野本宮に参拝して往路も同じ道を通っている
が、一部は熊野から海岸沿いの遍路修行道「大辺路(後世に名付ける)」を通り田辺に至っている。中辺路の基点は田辺であるが、現
在では滝尻王子から熊野へ向う人が多い。滝尻王子は熊野の入り口に当たる重要な王子で、ここから熊野への聖域となり、前を流れる
岩田川(富田川)で水垢離をして罪を禊して、重畳の山々の急峻な道を登り、峠を越え谷を渉り苦難苦行を重ねて行く。熊野詣は難行苦
行に耐えぬくことで自己の罪穢を滅し、生まれ変わる「擬死再生」を行い、広大な慈悲の神と仏のめぐみを受け、死後の「極楽往生」を
願う旅でもあったのかも知れません。            (詳しくは「熊野古道を歩こう」 ・野口秀也著を参照下さい。)

王子跡とは
 「御幸路」の紀伊路や中辺路沿いには多くの王子社が設けられ、「熊野九十九王子」と呼ばれている。これは熊野詣の上皇や女院・
皇族、公家達の遥拝所や休憩所であり、後には熊野参詣者の休憩場にもなった。これらは九十九王子跡と呼ばれたが、九十九とは数字
が多いことを表現したもので、実際の数は特定できない。京都から淀川を下り摂津の窪津(天満)に上陸、初めての窪津王子社では奉
幣、御経供養のあと神楽を奉納し、境王子では「傍の田の中で御禊あり」と『御幸記』に記されたところから、王子社は遥拝所、休憩
所、禊祓所の性格を持っていたことが知られ、水垢離(みずごり)や潮垢離(しおごり)などの場所も決まっていたようです。また王
子は道中に設けられた熊野大社の末社で、熊野詣の人達が一つ一つ参拝し、経供養などを行い宿所として利用していた思われる。御幸
一行が宿泊した藤代王子では御経供養のあと御歌会や相撲、里神楽、白拍子の舞など特別な催があったと『御幸記』に記されている。
王子社の中でも海南市の「藤代(白)王子」、印南市の「切目王子」、上富田町の「稲葉根王子」、田辺市中辺路町の「滝尻王子」
、田辺市本宮町の「発心門王子」の五王子は五躰王子社と呼ばれ、格式が高い。                   (記:野口)  

10/19 7:03 
小広トンネル出口で下車する。

7:15 熊瀬川王子へ向かう。

7:24 熊瀬川王子の説明板。

7:28 わらじ峠まで急坂を登る。


7:43 草鞋峠の説明板。

8:03 女坂の急な下り。
 
 

8:07 仲人茶屋跡の説明板。

8:35 男坂の急な上り坂。
両方あわせて女夫坂。

8:40 岩神王子跡の説明板。岩神峠は
中辺路の中でも最もけわしい難所。

9:27 おぎん地蔵。京都の芸者で俗名
おぎんが、おいはぎに襲われ命を奪われる。

おぎん地蔵の説明板。

9:48 蛇形地蔵。
 

10:18 湯川宮。

10:19 湯川王子の説明板。

10:50 三越峠の休憩所。
現在の西臺郡と東臺郡の境界。

11:54 船玉神社の境内にある案内板。
三越峠まで3km、
発心門王子まで1.3km表示。

11:56 船玉神社。

12:08 船玉神社境内で休憩中、
コーヒータイム。

12:26 猪鼻王子跡の石仏様。
 

12:43 リンドウ一輪。

12:45 発心門王子。

12:46 発心門王子社跡の説明板。

13:36 発心門王子よりバスで町道を移動して
伏拝王子へ。その後、R168が通行止めに
なったので、往路と同じ高速道路を中百舌鳥駅へ。
 中辺路は熊野古道の中でも最もポピュラーな観光ルートだという。それだけに、初手から喧騒の渦に巻き込まれ、
嫌なイメージを持ちたくないとシリーズの後半にまで持ち込んでいた。だがやはりこの街道は無視できない。事実、
平安時代からこの中辺路こそ主街道に違いないのだから。
 さて少々の混雑は承知の上で、高原熊野神社から旧旅籠の点在する素敵な坂道から始まった。と、オヤオヤその
先の踏跡に雑草がはびこっている。何としたことか、やがて行く手には閑散とした山路が待っていた。意外な展開
である。平成のブームにあやかろうとしたのか、小さな茶屋が早や廃墟になっていた。観光化された古道は中辺路
のなかでもごく一部であることをこのとき始めて知ることになる。車道と交差する位置から、次のお迎え可能な地
点まで約1時間程の区間、それが代表的中辺路として縮約された現代版である。牛馬童子の手前の「道の駅」から
近露まで――。三越峠から玉船神社まで――。発心門王子から伏拝王子まで――。いずれも大型バスから放出され
た観光客がぞろぞろと現れる。それ以外の大半はわずか数名の若者に道を譲るだけの静かな古道そのものである。
これもまた千年に及ぶ歴史の中での自然の成り行きであろうか。だが、手に手に竹杖を持ちおぼつかない足取りで
歩む観光客の顔は、それでも楽しげに輝いていた。ごく自然に「こんにちは、こんにちは、お先にごめん」と言葉
を交わすうちに、ふと自分のなかに山ずれしたエゴから彼らを邪魔者に見下す思いのあることに気づき恥ずかしき
様だと思った。古昔の旅人を想い、古昔の山路に思い巡らす人々に何の区別があるものか。山ずれ者の驕りを捨て
ねばならないと思った、いや捨てましょう。
 秋晴れに恵まれた青空の下で山旅は楽しい。近露の宿は簡素で清潔、温泉も食事も満足、そのうえよく学ぶこと
も出来ました。熊野古道シリーズも後2回、益々楽しい企画をと頑張ります。ご期待ください。
                                                               (記:紀伊埜本、写真:奥中)
     
山域別例会記録一覧へ 年度別例会記録一覧へ TOPページへ