オプション例会No.117  北ア・常念岳(2857m)、蝶ヶ岳(2677m)例会記録
概要 『安曇野から常念岳、蝶ヶ岳を越えて徳沢へ。さらに奥又白池(岩登りのメッカ)を久し振りに訪ねます。テント山行、健脚向き。』
 
日時 2009年8月2日(日)〜8月6日(木)
天候 8/2:時々小雨、8/3〜6:晴れ
担当 紀伊埜本節雄、大西征四郎
集合  
行程 松本(泊)⇒ヒエ平〜常念乗越(泊)〜常念岳〜蝶ヶ岳〜長塀尾根〜徳沢(泊)〜奥又白往復〜徳沢〜上高地⇒乗鞍温泉(泊)⇒大阪
参加者 本郷善之助、奥中種雄、長瀬茂正、畑山禮子、柴田弘子、田中智子、紀伊埜本博美、川守田康行 ・・・ 計10名
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8/2 15:00 松本城
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18:57 松本市内とある店で鋭気注入
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8/3 8:50 ヒエ平登山口
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11:38 樹林帯の中浮石だらけを常念乗越目指して
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11:59 登山路は流れの音を聞きながら沢沿いに
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13:04 最後の水場を通過、稜線はもうすぐ
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14:30 今日の目的地、常念乗越着
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15:10 テント設営完了
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15:56 今日の目標到達 乾杯
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8/4 5:01 常念乗越からの穂高連峰
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5:03 乗越から見た日の出
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5:59 テント撤収、出発の準備
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6:29 登り始めてから30分後の常念小屋とテント場
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7:08 浮石を踏みつけながら、黙々と頂へ
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7:47 三俣分岐を過ぎ最後の登り
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7:54 常念岳頂上に到着、大休止
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8:04 若かりし頃、情熱をそそいだ
屏風、奥又の岩壁を眺めながら
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遠くには南アルプス、富士山も
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8:09 常念岳からの穂高連峰
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8:17 ガスがかかった蝶ケ岳と長塀尾根を見る
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8:55 穂高連峰を眺めながら蝶ケ岳へ
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11:34 稜線上の所々にはお花畑が
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13:42 蝶ケ岳頂上、あいにくのガスで視界はなし
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13:45 蝶ケ岳展望指示盤
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17:36 長塀尾根を下り終え、
やっと?徳沢へ到着
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17:44 徳沢園
11時間半の行動お疲れ様
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8/5 5:52 奥又白池を
目指して準備運動
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6:13 新村橋を軽い足どりで
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6:24 奥又白谷への登り
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7:44 中畠新道の分岐
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草いきれのなかを登る
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9:49 新道とは名ばかりで、
木登り?草付きの岩場の急登が続く
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11:38 澄んだ奥又白池
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11:45 奥又エレジー1番を合唱
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あいにく四峰正面壁はガスの中・・・
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14:48 帰路、大岩にある石田、水田両先輩の墓参
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17:41 徳沢を経て、上高地バス停へ
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19:08 かけ流しの源泉に
浸かり今回の疲れを流す
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19:58 心のこもった食材と
アルコールに胃も心も癒される
     

 去年は小屋泊まりの縦走を試みた、今年はテントを背負って縦走してみよう。アラセブ(70代)達が少年の
様に目を輝かせる。それも頼もしいアラカン(60代)達が協力してくれるお陰だ。でも、日頃の鍛錬や、体調
の管理、装備の点検など、互いにきびしくチェックしながら準備に怠りは無い。そのうえ、例年なら夏山の天気
が最も安定する時期に計画したにもかかわらず、間際になって出発日を3日、スライドすることにした。それだ
け今年の天候は気紛れと云うことだ。予約の変更など気忙しいことがあっても、可能な限り荒天を避けるのが、
ハイエイジの戦略と特権と云うものだ。
 初日は、松本市内のビジネスホテルで英気を養う(旧友よ、信じ難いだろう) 
 2日目。早朝から余裕をもって、ヒエ平から常念乗越しへと登り着く。午後3時、テントを張り終えた頃から
ガスに切れ間が現れ、ほどなく北穂高の一部が忽然と現れた。(よしスライドの効果だ、憑いてきたぞ)
 3日目。4時起床、夜明け前の薄空に、槍、穂高、明神が視界いっぱいに広がっている。日の出とともに圧倒
的な迫力で迫ってくる。常念から穂高を見たのは初めてである。え?と驚かれても、私にとっては紛れの無い事
実、なんという幸運だろう。明神五峰東壁をこの角度から、しかと見た。前穂東壁の全貌が目の当たりにある。
松高カミンに初秋からベルグラが張る訳が知れた。四峰正面壁の登攀終了点が意外に複雑なことも、そして屏風
岩を真正面から俯瞰する驚き。これほど素晴らしい光景を、これほど素晴らしい観察ポイントを、永年無視して
きた、いや知らずしてきた自分にあきれ果てるのだ。
 6時出発。 常念岳を越して、蝶ガ岳への稜線を喘ぎあえぎ進む。視線は常に穂高に捕らわれるので、躓いた
り、よろめいたり、ついにガスがその姿(穂高)を奪うまで食事もうとましい有様だった。そして、長塀尾根の
長いながい下りを経て、徳沢園に到着したのは午後5時30分、なんと11時間半の実働だ。しかし、誰もが今
日一日の好天と光景に感謝はしても苦情は出ない、有難い事だと思う。
 4日目も4時起床、6時出発。「明日は雨だ」と聞いていたが、今日も晴れている。(憑いているぞ、これは)
奥又白に向う。前日の実働が応えたのか、足取りは重い。石田岩の辺りは土砂の堆積が年々高くなっている様で、
以前は見えなかった岩の上のお墓が遠くから望める。女性達が摘んできた野花を添えて、黙祷をする。
 中畑新道(もはや新道とは)は荒れ放題と云うが、元からしてこの程度だろう。しかし急峻だ 「昔ケンケン、
いま四つん這い」互いに比喩しながらワイワイ喘ぎつつ登る。N君のエスコートが実に鮮やかだ。日程をスライ
ドした為に、もう一人のN君は残念ながら参加出来なかったが、この両N君の身体能力は現役を凌ぐ貴重な存在
だ。奥又白池に11時30分到着。池は美しく静寂を保っていた。テントサイトは長雨の作る砂模様に塵一つ無
い。30年近く訪れていないが、空白を感じさせない。周りの草丈が少し高くなったかと思うが、池は満々の水
をたたえ小さなさざ波が立っている。初めてここに来たのは51年前。50年前には石田正武君を失った。48
年前には水田真理君を失った。43年前には稜を隔てた明神で田中靖夫君、宮阪喜久夫君、西尾保昌君を失った。
そして近年、北尾根V峰で岸本浩君が逝ってしまった。穂高にはぬぐいきれない悔恨がある。だが「君より50
年も長生きしているよ」そう呟いても、自分は意外なほど落着いていた。O君が「これが最後の墓参となります
ね」と云うが、やはり湿っぽさは感じられない。どういうことだろう、自分自身が鬼籍に近づいて来たからだろ
うか。それとも、一昨日から続く厳しい歩みの果てに、ようやく辿り着いた感動が先行するのだろうか。
 徳沢園から夕暮れ迫る上高地に向う。疲れている筈なのに、不思議と足取りは軽い。何と50分ばかりで明神
に着いた。この弾む気持ちはどこから来るのだろう、全員が若者に戻った気分だ。今夜は乗鞍高原に宿をとる。
かけ流しの源泉に浸かると、今日もまた実働12時間の行動に、やりましたね、と終止符を打った。
 5日目。タクシーに揺られ松本に向う。この山行、いったいパワフルと云うのか、エレガンスと云うのか、そ
れともエンジョイとするか、意味の無いことをつらつらと思う。しかし心はすでに、次なる山行に移り行く自分
が其処に有る。アラカンよ、アラセブよ、ガンバロウゼ!
                           記:紀伊埜本(節) 写真:大西(征)、長瀬、川守田

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