オプション例会No.148 | 鈴鹿越え(旧)千草街道 例会記録 |
概要 | 『伊勢から近江へ、鈴鹿山脈を越える千草街道は織田信長狙撃事件でも よく知られている当時の街道です。 今はすでに廃道、自然に還って山路となっています。新緑萌える絶好の 季節です。ハイキング+歴史探訪No.18』 |
どこか荒涼とした杉峠の風景 一本杉はその象徴である 昔日の旅人達は何を想い 何を背にこの峠を辿ったのか 雨乞山に続く尾根にはどっかりと残雪が残っていた |
日時 | 2011年4月24(日) | |
天候 | 晴れ、峠付近は霰、雨さらにのち晴れ | |
担当 | 紀伊埜本節雄・長瀬茂正・小椋勝久 | |
集合 | 近鉄鶴橋 7:00(7:11発 特急賢島行き乗車ホーム) | |
行程 | 近鉄四日市まで特急⇒近鉄中菰野駅⇒(タクシー)朝明〜根の平峠 〜上水晶谷を渡る〜コクイ谷出合〜杉峠〜甲津畑⇒ (タクシー)近江鉄道八日市駅⇒JR近江八幡⇒JR大阪 |
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参加者 | 西田保・柴田弘子・田中智子・欅田克彦・神阪洋子・保木道代・ 奥中種雄・本郷善之助・大西征四郎・小椋美佐・紀伊埜本博美 ・・・ 計14名 |
ここまでタクシーで 本日のスタート点 伊勢谷出合 10:09 |
伊勢谷沿いに登る 風は冷たいが空は晴れていた |
この辺り 登山道は整い過ぎて物足らない |
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少しだけ喘ぐ程度の峠への登り道 11:01 |
根の平峠の標識が見えてきた まだ伊勢側の峠だ |
根の平峠の風景 かっての茶屋宿跡の空地が妙に明るい 11:12 |
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上水晶谷を渡る 愛知川上流のこの辺りは大きな台地 状の斜面 雪積期にはこの地形を熟知する人にとって さぞ楽しいパラダイスとなるだろう 11:37 |
薄ら寒いなかでの昼食 平地が点在するなか まばらな 潅木 新芽は未だ無き状態 上水晶谷とコクイ谷の狭間 11:45 |
コクイ谷出合の少し手前で 本流を左岸に一旦渉る 12:12 |
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右岸に合流するコクイ谷を見過ごして 再度本流を右岸 に渉り返すこれでコクイ谷を通過したことになる 昨秋 下見にきたN君が増水のため素足で渡渉したところ 12:27 |
涸れてきた本流の左岸沿いに登ると突然 御池鉱山跡 に出た 銀と銅が採掘されたというが 当然何も落ち てはいない 13:13 |
崩れた急斜面に出くわす 雪解けに緩んだものかも |
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残雪で踏み跡が消されている が 峠は近い |
杉峠を見上げる最後の斜面 にわかに雹が降ってきた 13:47 |
峠は風と雹にあおられいる為 急きょ雨具着用をする |
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杉峠の風景その東側 雹の飛礫でみるまに白く冬化粧 昨秋O君と甲津畑からこの峠まで下見に来たときも 季節外れの寒さに晒された しかし遠く根の平峠越しに 雲の切れ間にキラキラひかる四日市が望まれた |
杉峠の風景その西側 急いで峠を越える そこは冷たい雨 同じ昨秋 N君はひとりで東の伊勢谷からこの峠まで下見に来てくれた 峠から見 たのがこの斜面だろう 以来この峠は来訪者の「お気に入り」になってしまう 不思議な魅力である 14:00 |
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御池鉱山の全盛期 この街道はシデの並木が並んでいた その名残は 歩いてしばらく続く 彷彿とした味わい 14:20 |
シデの大木 カバノキ科の落葉高木 山地に生じ 高さは15mにもなるという 人が小さく見える |
浄土真宗中興の祖、蓮如上人が京を追われこの街道に 至り、ひそかに一夜を隠れ忍んだ跡地だという 14:55 |
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鉱山全盛期の屋敷跡 おそらく広大な屋敷であったろう 15:35 |
渋川に架かる木橋 付近の風景によく似合っている |
織田信長狙撃事件の現場 謎に包まれた杉谷善住坊の 役割 500年前の隠された全貌を解き明かすのは、、 |
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桜地蔵 何の伝説も無いとあるが かえって不気味だ 峠を行き交う旅人達も 無事息災を祈ったことだろう 15:50 |
ガスの切れ間に浮びあがった山桜 桜地蔵の謂れかな 16:17 |
甲津畑城の城主速見家の庭にある駒つなぎの松 織田信長も駒を留めたといわれる由緒ある見事な松 16:50 |
千草街道とは古くは伊勢と近江を結ぶ鈴鹿越えの街道でした。三重県千草集落の常夜灯を基点として、西に朝明渓谷 |
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