オプション例会No.153 北海道・幌尻岳(2052m)、羅臼岳(1660m) | 例会記録 |
概要 | 『日高山脈の最高峰、幌尻岳は糠平川に沿うアプローチが天候次第で渡渉不可となる難峰です。 羅臼岳は千島列島を繋ぐ、知床半島に残された秘境です。』 |
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日時 | 2011年7月24日(日)〜7月30日(土) | |
天候 | 24日〜29日まで晴れ、30日はところにより霧雨 | |
担当 | 紀伊埜本節雄・大西征四郎 | |
集合 | 関西空港8:30 | |
行程 | 24日 関西空港=新千歳空港 レンタカー=平取町とよぬか山荘 25日 平取町管理のシャトルバス=幌尻林道ゲート〜取水場〜幌尻山荘 26日 〜幌尻岳〜幌尻山荘〜取水場〜幌尻林道ゲート=とよぬか山荘 27日 移動日 レンタカー=羅臼岳岩尾別登山口の木下小屋 28日 〜羅臼岳往復〜ウトロ岩尾別温泉ホテル地の涯 29日 予備日兼移動日レンタカー=雌阿寒岳山麓オンネトー野中温泉別館 30日 レンタカー=新千歳空港=関西空港 |
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参加者 | 本郷善之助、柴田弘子、笠松マサヱ、田中智子、紀伊埜本博美 ・・・ 計7名 |
24日 アプローチ・25日〜26日 幌尻岳登山 |
平取町管理のシャトルバス7:00発に乗車。1日3便 運用されている。但し完全予約制。建物は廃校となった 旧豊糠中学校(現とよぬか山荘)。前夜は一戸建ての教員 宿舎が我々にあてがわれた。 |
8:00 幌尻林道第1ゲート着。昨年はここまで来て 引き返した。正しくは第1ゲートはこの先2,5キロ、 徒歩50分を要する位置にある。同乗者は2組の夫婦と 2人組の男性の計13名。 どう云う訳か、彼らはバス が着くなり早速と行ってしまった。 |
我がチームはゆっくりと歩き始める。古いエンジンを暖 っためる様に。林道はどこまでも続くが、後からは誰も 来ない。一般車両が規制されているから当然だが、奇妙 な気分である。 |
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北海道電力取水場に10:50着。ここまで2時間40分 の林道歩きは、根気が必要だ。正に奥深き日高の山懐だ 2〜3組の復路の登山者と行き交う。 |
右岸の踏み跡20分ほどで最初の渡渉が始まる。晴天続き で水量に問題はなさそうだ。沢靴に履き替える。EPE仕 様の洗練された沢登りスタイルが並ぶなかで、野暮ったい 人も交ざる。でもね、なにが野暮ったいかは時代が決める 要は機能第一だ。 |
まずは楽しめる程度の渡渉が続く、幌尻山荘まで通常で 15回ほどの渡渉があるそうだが、倒木や山抜けのため 都合17回は渉ったことになる。状況に即して対応する のが沢歩きの面白さだが、それを理解するには経験が必 要だ。だからといって、経験を積めなかった登山者を誰 が責められよう。 |
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我がチームの先導は颯爽とした赤パンツのOリーダー、まるで弁慶がごとき頼もしさで 6尺ならぬ8尺棒がよく似合う。 この8尺棒、要所々に配置されていたようだが、 後始末が悪いのか流木化している。せっかくの配慮が惜しまれる。 |
重荷で足をすくわれると少しやばいところ。水はほどよい冷たさだが、長居は無用だ 8尺棒は素早く活用するに非常に有効だ。今回は、8mm×30mザイル1本、各自は 簡易ハーネスを着用し、複数のビナ、シュリングもとどこうりなく準備した。しかし これとて、沢中での使用法に間違いがあれば、逆に凶器なることも知って貰いたい ザイルがあれば何でもOKとするのは大間違いである。 |
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沢歩き中頃で一休みする。チームは陽気で明るく笑いが 絶えない。緊張とリラックスの頃合は、心身爽快の秘訣 山ヤなら誰でも知っていることだ。今日は急ぐ事はない 優雅に楽しもう。 |
13:50幌尻山荘着。意外に空いている。先着の夫婦 2組はベンチで手持無沙汰のようだ。 管理人はいっけん 無愛想だが接する程に人の良さが現れる。どうやらルート 標示のないことに、苦情を申し立てる登山者が多いとみえ 客をみたら身構える癖があるようだ。渡渉はその日の状況 次第ですねと相槌を打ったら、ニコッと笑顔が見られた。 |
食事は外でザックは持ち込まないとの決まりで、それなら と陽の高いうちに夕食が始まった。缶ビールは700円で 売切れごめんと聞けば、呑み助はそれでも安いという。 夕刻になって山からぞろぞろと登山者が下りて来た。この 小屋に2泊する人が結構多いという。10時のバスで後か ら到着した人も含めて宿泊者は30名位だろうか。 |
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26日午前2時起床、3:00に出発した。こんな早出 は久し振りだ。準備中に夫婦組みは先発する。昨夜も コンビ二弁当を広げるだけで、自分たちはこれですわ、 と笑っていた。旅慣れているようだ。登山者も多種多様 やり方も様々、みんないい人だ。 |
支尾根に出るまでは、ただ黙々と樹林帯の急斜面を登る。 半分は闇の中だから、むしろひたすら登る事に集中できる 2時間ほどかけて出たところは,幌尻岳から北西にのびる 支尾根の突端である。眼前に朝の雄大な風景が現れる。 カールを隔てた正面に、戸蔦別岳が優美な姿を見せている 心洗われる思いだ。 |
カールの奥にどっしりとした山容、それが幌尻岳だった。 辿って行く足元の支尾根は飽くほど長い。しかしそれは贅沢 と云うものだ。ワイドスクリーンを端から順に眺めるように 刻々と変貌する壮大なパノラマは、きっといつまでも忘れら れぬ光景となるだろう。 |
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7:10幌尻岳到着。所要時間はほぼ予定通り全員快調 天気は快晴、すべて云う事なし。山頂には他に1〜2名 の方のみ、大きな山頂を満喫する。 |
記念写真。常にカメラマンが一人抜けるが、もう1枚撮る ので心配ご無用。ゆっくり休みたいが、することも多い。 食事もその一つ、EPE仕様に昼飯は無い。停まれば喰う ことから始まる。お喋りはそのあと、眺望はもっとあと、 でも心は最初から弾んでいる、素晴らしい仲間達だ。 |
北に戸蔦別岳方向の遠望。はるか彼方に十勝岳やトムラウ シ岳、大雪山と、姿はみえぬが胸の内には見えてくる。 壮大な風景、さすがにここは日高山脈最高峰だ。 |
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南へ東カール方向を眺める。遠く南に延々と連なる日高山脈 カムイエクウチカウシ岳 はどこに? 全くの初見では、急いで山の同定は難しい。最遠部に見えるのはペテガリ 岳か? 南北120キロにおよぶ日高山脈の、最高峰 幌尻岳から眺める、これが最高 の贅沢というものだ。 |
帰路、北西に伸びる支尾根の突端に登り返す我がチーム。戸蔦別岳が一段と美しい 登山路はこの先から急角度で樹林帯に突入する。最後の美しい眺めだ。 |
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幌尻岳のお花たち、まだまだもっとあるが割愛させてもら いました。謝々御免。 |
エゾハクサン二チゲ |
ミヤマアズマギク |
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山荘を11:00に出て下山を始めた。帰路はじっくり この沢を検証するつもりであったが、実はこの区間の沢 そのものは何の変哲もない、平凡な沢であることはすで に往路で承知している。問題は増水時の対応である。 が、それも全く逃げ場のない黒部のようなものではない |
また、上部には巨大なカールを抱え、降雨時にいっきに 増水の危機が迫るという。だがそれも計算の内、そのと きどきの状況に応じて、進む、退くを含め、何処をどう 渉り、どう巻くか、その判断こそ総てである。いやその 前に、沢とはそういうものだという、認識が重要である 云いにくいが、ここでは問題はもっぱら登山者側の未熟 さにあるように思う。同じ登山者としてまことに残念だ しかし、無知未熟が原因とはいえ、この場で亡くなられ た方々の無念さは計り知れない。それを思うと、受入側 のより一層の配慮と事前の啓蒙が望まれる。 ひとり黙って黙祷をする。 |
15:07 本来の第1ゲートに着く。今朝3時の出発 だから、あと2,5キロ、50分要すると計13時間の 行動になる。さすがにヨレヨレに近い。でもここに来て ピッチは落せない。16:00発のバスに遅れると、 ビバークはさておき羆が怖い。(これが本音) それにしても我がチームの平均年齢67歳、いかに自称 筋金入りとはいえ、まったくよくやりました。 |
27日 移動日・ 28日 羅臼岳登山・ 29日 移動日・30日 帰路日・ |
羅臼岳の岩尾別登山口にある木下小屋。その下の通路 にはまだ2台の車しかない、予想外に空いている。小屋 には電気がない。100mほど下にホテル「地の涯」が あるが、小屋はランプが灯る。夕食は横のベンチで、 移動中に仕入れた惣菜をたらふく平らげた。とても平和 な気分。大鹿が2頭忽然と現れる。 |
昨夜はシュラフで眠りかけた頃、横の女性軍がやけに騒 がしい。聞けば小屋のすぐ裏に素朴な温泉があるという たしかに手作りで穴だけ掘った露天風呂があった。湯に 寝転んで空をみながら、柄にもなく「長生きしてよかっ たかな、、」とH氏と語る。ときに羆が訪れることなど すっかり忘れていた。今朝は3時起床、4;00出発。 |
1時間も歩かぬうちに夜が明けてきた。今日も快晴だ 緩やかに登る道は、会話も苦にならない。熊避けの鈴と 話し声が一番の熊避けになるというので、今日ばかりは 天下御免のお喋りが続く。OリーダーとHリーダーの 腰にはホルダーサック入りの熊撃退スプレーがある。 |
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弥三吉の水場6:10着。小さなせせらぎの水場、地図 には要沸騰とあるが、木下小屋の主は一言、大丈夫だと いう。心配するエキノコッカスの発症は感染後20年先 というから、まあいいかと思う。極上にうまい水だ。 |
極楽平〜仙人峠〜羽衣峠と通過して大沢に7:37着 主稜線の羅臼平までびっしり雪溪に覆われていても おかしくない地形である。温暖化現象か?あまり勝手な 解釈はよくないが、先週は梅雨が無いと言われていた 北海道に梅雨前線が張りついていた。いずれ北海道が米 の主産地になるだろうと言われているがどうだろうか。 |
羅臼平8:25着 ここが主稜線の鞍部とは思えぬほど広大な広場である 南西に仰ぐのは羅臼岳山頂(1661m)。正対する 北東には三ツ峰(1509m)が同じように大らかに 立っている。厳冬期に吹雪かれたら大変だろう。 かわらに木下弥三吉さんの顕彰碑が建っている。北大 山岳部の手によるものだ。多分、弥三吉さんは上高地 の嘉門次さんのような存在だったのだろう。 |
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山頂に近づくと、予期せぬ岩峰だと解かる。火山噴火の 名残と見えるが、巨大な山頂岩壁の一角が危ういバランス を保ち、いつ大崩壊が起こっても不思議ではない。 登路はその真下にお構いなく直進する。冷や汗がでる。 |
予期せぬ岩峰の狭い山頂。羅臼平では漠然と平らな広い 山頂と思いきや、はてこれはと嬉しくなる。北ア槍ガ岳 ぐらいのスペース、ここにきて登りました!という 雰囲気になる。 |
めずらしく山頂でゆっくり食事する。坐車になると背後は 垂直の霧の中、奇妙にこれが落着くのだ、悪癖に近い山ヤ の習性。いつまでも居座っていたい気分だが、雷雲が迫る ようで腰を上げる。 |
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羅臼平に向かって下る。北西の風に羅臼平のガスが一瞬 にして掃かれる。美しい、ほんとに美しい、空中散歩だ |
山頂と羅臼平の中間にある岩清水の水場。岩から滲み 出る冷たくて美味しい水は、よく知られているそうだ 往復ともお世話になりました。 |
大沢の下り。下からは見えなかったが、わずかに残る雪 古い山の本にある写真では、ここに大きな雪渓がある。 両サイドはお花畑、俺にはすべて「ラウスシラネ草」だが OリーダーとHリーダーはカメラ操作に忙しい。 以下は羅臼のお花さん達です。 |
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エゾコザクラ |
イワヒゲ |
イワギキョウ |
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エゾノツカザラ |
エゾツツジ |
エゾカワラナデシコ |
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ヒグマ出没多発区間、看板のとうりこの間1キロ足らず 登路に蟻塚があり、ヒグマの好物となっているそうだ ヒグマがここに座り込んでしまって、数時間下山できな かったとか何とか、真偽の程は知らずだが、でかい看板 のあることは確かです。 |
危険区域を通過した一行。夏の日差しは強く、汗だくに なって登山道を補修する人がいた。先頭のOリーダーは 神妙に「ご苦労様です、おかげ様で楽しい登山をさせて 頂きました」と立ち止まってご挨拶。オヤオヤ、彼の隠 くされた真骨頂を拝見した。 |
登山道の終点に素朴な神坐がある。チーム全員、無事に 山行を終了した感謝の祈りをする。 15:00木下小屋着、所要時間 11時間、別に急いだ 事はないが、遊んだ訳でもない。これが我らのぺースと いう事だ。 |
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移動中の風景 27日 斜里町近い国道で偶然、昼食に入った喫茶店、中はびっく りの本格的なログハウスだ。カレーと絞りたて牛乳は絶品 老店主夫妻が素適な雰囲気をかもし出す 「夜は満天の星 だよ、流れ星が降るように落ちるね、いつかこの星(地球) そうなるよ」 気にいった旅人には宿も提供するそうだ でかい薪ストーブを囲んで、どうです来年あたり、、、 |
移動中の風景 29日 知床峠を越えて千島列島を真近にみる羅臼湾にやって来た 後ろは森繁久弥の像、右はかって愛読した動物作家、戸川 幸夫の詩碑。森繁の歌詞にある「はるか国後の、、、」は 湾の正面にかすかだが大きく望まれる。返還されたら一番 で登りましょうと、全島5万/1図を送ってくれた村本君 「即時返還!」と憤慨する、われらが赤パンツのリーダー あれこれ思うと涙声になるので俺は困る。 |
移動中の風景 30日 前夜は知る人は知る、オンネトー野中温泉別館に泊まる 濃厚な湯質、もったいない程の湧量、露天風呂の赴きも 最高だ。オンネトーとはアイヌの人の言葉でオン(老いた) ネトー(湖)とある。どうりで、この引込まれそうな静寂 決してひとりで来てはいけません。とくに、高齢者は、、 ガスに覆われた阿寒富士(1476m)が湖面に漂う 北海道の夏の山旅はこれで終わった。 |
記:紀伊埜本節雄 写真:大西征四郎、紀伊埜本博美 |
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