岸本浩 慰霊登山 報告
日時 2006年9月16〜17日(土・日)
天候 曇り一時雨
担当 泉州山岳会:桝田会長 (OB:宮平、森坂)
行程 集合・上高地〜奥又白谷〜明神〜上高地・解散
参加者 現役組:杉山、翁長、西村、有永、岡本、湯浅、石井、柴田、大植、橋本、寺井、蒲田
OB組:深井夫妻、本郷、秋田、宮平、森坂、三原、村本、宮田、長瀬夫妻、姫元、板谷、
    飛田、松田、安部                     ・・・計28名
徳沢の先で新村橋を渡る
9/17 9:29 喧騒の上高地や徳沢を
離れ新村橋を渡ると、ようやく静かな奥又白谷に
向かう路に入ることができる。
奥又白谷の大岩上にある遭難碑と共に遺影を
10:05 奥又白谷の大岩にある石田、水田両氏の
慰霊碑に岸本氏の遺影を加え、親交のあった方々の
思い出話の後、全員で黙祷をささげた。
慰霊碑の下で全員集合
慰霊碑の下で参加者の集合写真
明神の慰霊碑
12:42 台風接近の天候となり、山行予定の
あった方々も中止とし、参加者全員で明神の田中、
宮阪、西尾三氏の慰霊碑に立寄った。
雲間から明神岳の雄姿
13:41 梓川に降り立つとちょうど雲が切れ
明神岳の雄姿が現れた。
岸本浩遺影
1971年8月、剣岳・池の谷中央
ルンゼ登攀後の岸本浩氏
 2005年9月18日 午前7時45分ごろ北アルプス・前穂高岳北尾根の三峰を登攀中に転落し、ヘリで病院に搬送
されたが、頭などを強く打っておりまもなく死亡されました。 年齢にもかかわらず、クライマーとしてまことに壮絶な
死でした。岸本氏は東京在住でしたが、大阪出身で大阪大学工学部助教授、日本原子力研究所理事などを務められた後、
最近は財団法人高度情報科学技術研究機構(RIST)理事長でした。泉州山岳会会員として日本の名だたるルート登攀
はもちろん、北米第二の高峰Mt.Loganの東西縦走や大峰・七面山南壁初登攀の指揮を執るなど活躍され、また後
進の指導にあたられました。 勤務の都合上、茨城県や東京都に転居された後も参与としてたびたび山岳会の行事等に足
を運んで頂きました。日本の原子力計画推進に無くてはならない人であるにかかわらず、そのようなことを感じさせない
飄々とした人柄と容貌、そして内に秘めた山への闘志が誰からも好ましく思われた方でした。
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