慰霊碑建立趣旨と概要

 

慰霊碑建立委員会委員長 紀伊埜本 節雄

1-はじめに

来る2020年、泉州山岳会は創立80周年を記念する祝賀の日を迎えます。しかし、その長い歴史のなかで多くの尊い生命が遭難事故によって失われていることを忘れることは出来ません。1950年(昭和25年)から2005年(平成17年)の間に、泉州山岳会の遭難事故死亡者は13名に及びます。同じ泉州山岳会の名のもとに、同じ登山を志すなかで無念にも遭難死を遂げた仲間達の、悲しくも貴重な足跡を、いま私共は後世に伝えなければなりません。

 

2- この慰霊碑建立計画は、泉州山岳会創立80周年記念事業の一環として行われることに意義があります。この計画を実現することによって、全会員の伝統の絆がより一層深まることになり、次代を担う会員達の安全登山と遭難防止への取り組みが、一段と充実する契機になると確信するからであります。さらにこの慰霊碑の建立が、より広く、一般登山者への啓蒙と警鐘に結びつくことが出来ますれば、誠に幸いであります。

 

3- この計画の実現に向けて、泉州山岳会会員、姉妹クラブであるEPEクラブ会員、泉州山岳会で活躍された元会員の方々はもとより、全ての会員の家族、友人知人、友好団体、さらに関係諸官庁など巾広く多くの皆様のご理解とご協力を願うものであります。また慰霊碑完成の暁には、慰霊者の永久の安らぎを祈る除幕式と、その法要を営みます。その節には是非、皆様のご参列を願うものであります。

 

4―慰霊碑について

この慰霊碑には、13名の慰霊者の合同慰霊碑としての意味があります。過去に造られた個々の慰霊プレート等(岩盤に填め込まれた銅版と石碑)を、この際、回収して同じ慰霊碑の基に収めることになります。その理由は、各地に散在する慰霊プレートの管理が、年々高齢化するOB会員にとって更に困難になるだろうことであります。また設置後、既に50年以上の歳月を経たものもあり、消滅や埋没の恐れもあります。他にも設置されずに手元に残こされている慰霊プレートや、未制作のままの慰霊者も残されています。この様な現状からして、この合同慰霊碑に望まれることは、私共の本拠地の近くで、未来永劫に見守ることが出来る慰霊碑であること、合わせて、次世代の会員達にとっては、安全と遭難防止を祈ることのできる様な象徴的な碑、シンボルであってもらいたいと願うものであります。

 

5―建立場所と存続について

慰霊碑建立の場所は、かねてより要望していました堺市立鉢ヶ峯霊園内に建立できることが決まりました。云うまでもなく、堺市は泉州山岳会の発祥の地であり、その後も泉州山岳会の所在地として、今日まで、多くの会員達が強い愛着を持ってきました。一方で、慰霊碑の存続と管理は非常に重要なことであります。その要件を満たす第一は、会員等にとって簡便な場所にあること、それは過去の慰霊プレートの管理が困難であったことからも明らかであります。その条件のもとで、鉢ヶ峯霊園の特質は堺市の公共施設としての高い信頼と、その存続に何ら問題のないことであります。この度、はからずも堺市当局から用地使用の特別許可を得ましたことは、真に僥倖なことであります。

 

6-維持管理について

慰霊碑管理委員会が、新たに会則に諮って設置されることになりました。管理委員会の目的は、建立の趣旨を引き継ぎ、その適切な管理を永続することにあります。管理委員会には将来の補修に備えて、建立予算の中から50万円を管理基金として保管することになりました。また具体的な管理活動として、毎年12月の納山祭の翌朝、慰霊碑に集い献花、清掃を行うことを恒例とすると決められました。他にも年1度の「慰霊の日」を制定し現役会員、OB会員、その他関係者一同が会し慰霊と懇談を催す日とする企画も立案中であります。

 

7―おわりに

創立80周年に向けて、泉州山岳会に新しい息吹が感じられます。慰霊碑建立という、一見、過去を振り返る事業でありますが、その活動の最中に、次代を繋ぐ新たな息吹が感じられるのはなぜでしょうか。それは今、泉州山岳会は創立80年という大きな節目を確実に築き、次なる飛躍に向って、新たなスタートを切らんとしているからでありましょう。ここに関係各位の、力強いご支援とご協力を、心からお願い申し上げる次第であります。

完成予想図と建立場所