一般例会No.337

仙谷経一郎氏慰霊登山 京都北山・焼杉山(717m)例会記録

概要

『泉州山岳会、EPEクラブの会員として、広島弁と個性的なキャラクターで多くの会員に慕われ、山と酒とタバコを愛した故人の慰霊のため、生前最後に登った山「京都北山・焼杉山」で故人を偲びます。』

日時

2013年12月1日(日)

天候

晴れ

担当

野原勇、大石隆生

集合

8:00 京阪電車淀屋橋駅西改札口前(8:10発「特急・出町柳行き」乗車、9:06出町柳駅下車、9:30頃京都バス(貸切)乗車

行程

京阪・出町柳駅⇒(貸切バス)⇒大原・古知谷阿弥陀寺~焼杉山~寂光院~大原⇒(貸切バス)⇒京阪・出町柳駅

参加者

近藤さとみ、神阪洋子、寺島直子、安本嘉代、谷村洋子、寄川都美子、保木道代、紀伊埜本節雄、紀伊埜本博美、高木恵美子、辻角ますみ、秋田文雄、翁長和幸、大西恒雄、和田都子、和田敬子、上原進一、黒澤百合子、西村晶、西村美幸、山岸悟、山岸郁子、杉本康夫、安部泰子、福田直也、前田守、山本洋、岡本佳久、青木義雄、堀木宣夫、安本昭久、安岡和子、杉本栄子、山下登志子、戸松高志、戸松みつえ、川崎喜美子、西野勇治、磯辺秀雄、和田良次、山枡初好、片山純江、池田える子、桝田誠寛、江本恭子、齋藤容子 ・・・ 計48名

10:10 貸切の路線バスで古知谷阿弥陀寺の駐車場に着き、担当者から本日の山行の趣旨説明がある。

10:18 駐車場北側の山門の横を通って出発。山門は中国風で、写真には漆喰で塗り込めた下層部分が写っています。

参道の山門を過ぎて直ぐ右に焼杉山への登山口がある。

沢筋から尾根へと杉の植林帯をジグザグに登っていく。

10:30 植林帯を抜け、最初の鉄塔の下に出る。隊列が長いのでトップは遥か上を登っている。

尾根道を3つ目の鉄塔目指して登っていく。木々の隙間から琵琶湖が時々見える。

11:25 3つ目の鉄塔の下での休憩。それなりの広さがあるのだが、約50人ともなると狭く感じられる。

歩きやすい杉の植林帯を快調に登って行く。

岩尾谷分岐への急登。このコースは急な登りと緩やかな登りが交互に現れる。

12:30 焼杉山頂上着。この後の慰霊祭のため担当者はその準備を、他の方々は体と心の準備をしている。

仙谷経一郎氏慰霊祭(1)祭壇、仙谷氏の遺影と広島の地酒をはじめとするお供え。

仙谷経一郎氏慰霊祭(2)紀伊埜本代表が線香を手向け、他の方々は黙祷を捧げる。

仙谷経一郎氏慰霊祭(3)弔辞を述べる野原さん。

仙谷経一郎氏慰霊祭(4)線香の煙たなびく中、仙谷氏の遺影を前に何を偲ぶや。

14:00 慰霊祭を終え、大原・天ヶ岳・翠黛山の分岐に着く。狭いコルはたちまち我々だけで大賑わい。

分岐から寂光院への急な下り。2年半ほど前にここを登っている仙谷氏、アルコール漬けの体には少々きつかったのではと思ってしまう。

14:30 林道の終点に到着。登山道はここで終わり、簡易舗装の道を寂光院へ

14:55 紅葉の名残を惜しむ寂光院に着き、担当者の挨拶。皆さんお疲れ様でした。この後、観光客に混じって大原バス停に向かう。

 2年余り体調不良から、山から遠ざかっていた仙谷経一郎さんが8月に亡くなられ、その慰霊登山が生前最後に登られた「京都北山・焼杉山」にて行われました。この慰霊登山の計画段階では、これほど多くの参加者が集まるとは想定していませんでした。担当者としては嬉しい誤算でした。また、このことは仙谷さんに親しみを感じていた方がいかに多かったかということです。こんなに多くの方に慕われていた仙谷さんは本当に果報者です。今回の例会を通じて仙谷さんの存在感をあらためて感じました。

 古知谷阿弥陀寺前の広場にて本日の慰霊登山趣旨説明とコース案内。登山口から最初の鉄塔を過ぎるまでジグザグの急登、第二の鉄塔を経て第三の鉄塔までは緩やかな登りだが、第三の鉄塔手前の斜面のトラバースが、このコースを下りに取った場合にはスリップしやすく気を付ける必要がある。第三の鉄塔から頂上までは、急登が2ヶ所ある。2年前の7月に行った例会時は、大原から寂光院を経て、焼杉山頂上、そして古知谷阿弥陀寺へ下山しています。 今回は全く逆コースとしましたが、その最大の理由は下見登山時にこの急登を下りに取った場合、落ち葉などによるスリップ、滑落の危険性を感じたことにあります。今回は安全第一の登山としました。

 焼杉山頂上で、今回例会の主目的である慰霊セレモニーを実施。 担当者が準備した遺影、酒、ビール、花、タバコ、お菓子、また参加者から花や飲み物の追加提供もあり一緒にお供えさせていただきました。その後、代表による焼香(他の参加者は黙とう)、死亡経過説明、泉州山岳会会長挨拶、弔辞、EPEクラブ代表挨拶など滞りなく実施することができました。頂上でのセレモニーと昼食後、翠黛山・天ヶ岳分岐を経て、紅葉狩りの観光客で賑やかな大原へ下山。寂光院前の広場で解散としました。

 今回の例会は慰霊登山という特別な性格上、準備から実施まで、皆さまのご理解、ご協力なしでは遂行できないものでした。ありがとうございました。

記:野原 写真:大石、西村(晶)、紀伊埜本(博)