一般例会No.352

湖南アルプス・太神山(600m)~矢筈ヶ岳(562m)例会記録

概要

『湖南アルプスの展望を楽しみます。』

日時

2014年3月23日(日)

天候

快晴

担当

野原勇、前田守

集合

7:45 JR大阪駅中央改札口前(8:00「新快速・米原行き」乗車、石山駅下車)

行程

JR石山駅⇒(タクシー)矢筈ヶ岳分岐~迎不動~二尊門~太神山~矢筈ヶ岳~御仏河原~アルプス登山口バス停~里バス停⇒JR石山駅

参加者

山枡初好、紀伊埜本節雄、安本昭久、堀木宣夫、青木義雄、杉本栄子、安本嘉代、黒澤百合子、岸田暎子、谷村洋子、近藤さとみ、寄川都美子、保木道代、佐藤敏子 ・・・ 計16名

9:20 出発風景

やや荒れた道を登る

マツタケ山警告表示、10月から2ヶ月間は登山道以外への入山は禁止

10:30 泣不動

10:55 二尊門をくぐる

二尊門の像2体の表情を巡って論争 左像:考える人ポーズ

右像:お願いポーズ

太神山への最後の石段登り

本堂横の岩の「胎内潜り」を皆が体験

11:20 太神山頂上 看板に微妙な標高差あり

頂上直下の不動寺本堂

不動寺本堂を下から見上げると清水寺の舞台を連想する

矢筈ヶ岳への登り

13:00 矢筈ヶ岳頂上

御仏河原で一休み

スタート地点へ戻ってきました

アルプス登山口バス停前で解散、お疲れさまでした。

 アルプスと名の付いた山は国内に数多くある。この太神山一帯も飛鳥時代から奈良時代にかけて都の造営や大寺院の建立に木材が伐採され、その後は燃料や灯り用として松の根まで掘り起こして採取。結果として明治初期には全山山肌が露出し、その景観から大正末期に「湖南アルプス」と呼ばれるようになったようですが、100年以上の砂防事業、植林事業の結果、現在の姿に復元されたとのことです。自然の回復に向けた先人の努力と共に自然の復元力の強さを感じました。これは六甲山の歴史とも重なる部分があります。

 当初の予定では石山駅から路線バスでアルプス登山口まで行く予定でしたが、待ち時間が長いためタクシーで向かうこととした。また今回は前田さんに急遽サブリーダーをお願いしました。 太神山までの道は、不動寺への参詣道であると共に東海自然歩道でもあるため道も整備されています。迎不動、中不動、泣不動を経て二尊門に至る。道の両側にはマツタケ山の立入警告表示とビニール紐が延々と張られ、やや世知辛い感あり。二尊門では二体の像がお出迎え、その表情や性別にメンバーで話題が飛び交う。 不動寺の本堂は長い石段を上がった太神山頂上直下にあり、巨岩に寄り添ったような懸崖造りという特殊な構造で、大岩の隙間をくぐる胎内潜りなどを皆で体験。 矢筈ヶ岳へは登ってきた道を戻り、枝道に入る。入口に極小の看板が掛かっていたが、あまりに小さく見落としそうだ。矢筈ヶ岳までのルートは木に巻かれたテープや標布などがやたらと多い。矢筈ヶ岳頂上には三角点はないが、琵琶湖方面の展望が少しあり。先客2名が静かにお弁当を食べていたが、突然の16名の登場で騒々しかったかも。

 下山は、もと来た道を出合(峠)まで急降下し左折。樹林帯を御仏河原へ下った後、岩のごろごろした道を辿り、タクシーを降りたスタート地点到着。アルプス登山口バス停まで車道をのんびり歩きすぎて、一足遅れでバスに乗り遅れてしまった。バス停前で解散。今回は天候にも恵まれ、大きな登り下りも少なくのんびりとした山行でした。

記:野原 写真:前田