一般例会No.360

生駒山系・高安山(478.4m)~信貴山(437m)歴史探訪シリーズNo.26例会記録

概要

『幻の高安城とは何か? 古代・天智天皇の築城から、中世・松永弾正の信貴山城壊滅まで、未だ幻の城跡を巡りましょう。』

日時

2014年5月18日(日)

天候

晴れ

担当

紀伊埜本節雄、小椋勝久

集合

8:10 近鉄・鶴橋駅プラットホーム(8:21発 準急名張行き乗車)

行程

近鉄・服部川駅~立石越え~高安山~信貴山~近鉄・信貴山下駅~JR王寺駅

参加者

野口秀也、青木義雄、寄川都美子、保木道代、杉本栄子、岸田暎子、谷村洋子、藤田喜久江、片山純江、安本嘉代、和田都子、池田える子、松本明恵、岡本佳久、堀木宣夫、安本昭久、欅田克彦、小原武尚、福田直也 ・・・ 計21名

8:50 爽やかな五月晴れの朝、近鉄服部川駅前の打ち合わせ。

住宅街の道順に惑う中、布団太鼓の庫出しに出会う。この辺りは八尾の勇壮な祭り太鼓の本場、小説今東光「悪名」の世界、古いか?ナ

ようやく山道にかかる。総勢21名、しかし思ったより静かで、出会う人も少ない。若葉に溶け込むようなハイキング冥利を味わう。

穏やかな森の中での休憩のひととき、どなたのお顔も微笑んでいる。

峠の登りにかかる 振り返ると西に大阪、いや難波の都が見えまする。

10:25 立石峠に出る。八尾から斑鳩の里(法隆寺など)に至る古代から残る古い古い峠路を辿って来たことになる。峠に纏わる謂われは尽きぬ程あるだろう。

10:55 高安山(487,4m)の山頂 この地を中心に天智天皇(7世紀)により築かれた高安城について語る。古代の世情も決して安閑としたものではなかったようだ、今ほど気楽な世代はない。

市民団体「高安城を探る会」によって発見された倉庫跡 平地に敷石が点々と並ぶ 城跡に対し倉庫跡より兵站庫跡とでも名付けてはどうだろう?

絢爛とした昼食会である。各々が座る敷台は1300年の夢から覚めた城跡の敷石である。気宇壮大な気分でそれぞれ持論を展開する。

高安山は広い台地である。南に一旦小さなコル(上の写真)に下り登り返した突起が信貴山山頂である。山頂一体が山城であることは間違いない。

12:35 ここに松永弾正信貴山城の碑がある。この東下に曲輪跡があり、そこには旗指物が遠慮勝ちに、しかし多数ひらめいていた。実はまだこの上に山頂部があり、今は空鉢護法堂である。

山頂から南に痩せ尾根が続き、その先端部にある梵鐘堂前(かっては曲輪櫓があったろう)で、小椋氏の戦国期松永弾正記を聴かせてもらう。織田信長に反逆しこの城で自爆に至る物語である。

朝護孫子寺本堂、見事な伽藍である。 聖徳太子の毘沙門天王信仰(寅年、寅月、寅の刻の夢枕)により開基されたという。

今はご覧のとおり、寅が虎に変じ、金運の願いが叶う一願成就のご利益にあやかろうと賑わう。

下山路は奈良県側にあった旧ケーブル電車軌道跡を下る。標高差約250m、一直線の下りである。春は桜、秋は紅葉が美しいという。

14:45 近鉄生駒線信貴山下駅に到着した。電車は一駅先がJR王寺駅、あとは大和路快速で天王寺、大阪と極めて便利である。

 初夏のハイキングは楽しい。わけても爽やかな快晴の日を浴びて気心の知れた仲間と共に歩むのはなお楽しい。聖徳太子も中大兄皇子も大海皇子も、きっと世情騒然とした政務の合間に、同じ心地でこの山路を歩んだ日もあっただろう。そんな単純な想いを馳せるのが、歴史探訪の始まりである。何も知らぬまま、ただ山やの体臭を振りまいてきた我が身が、いつの間にか芯からハイキングを楽しみ、歴史探訪に勤しむ姿は愉快である。

 それにしても1300年の昔、この地に高安城を築かねばならなかった当時の国際情勢は、奇しくも今日の東アジアの情勢と酷似している。防衛圏拡大を試み白村江の出兵に失敗、その後、唐新羅連合軍の侵攻に備え最終防衛線として築かれた高安城。歴史は繰り返される。いま政府の直面している集団的自衛権とは、当時いか様に表現していたのであろうか、面白い課題である。

 関西に住まう者にとって、幸いなことにハイキング+歴史探訪の行先は絶える事はありません。参加者の皆さんの暖かい応援のもと、相棒の小椋氏もいよいよ熱がこもってきました。今後ともより一層のご声援を宜しくお願いします。

記:紀伊埜本(節) 写真:小椋(勝)