一般例会No.400

六甲・摩耶山(698.6m)+アルファNo.14例会記録

概要

『摩耶山の魅力を少し探ってみましょう。下山後、原田の森ギャラリーで関西新制作展を鑑賞します。当会会員,和田晴次さんの作品がここ数年連続して入選されています。今年も期待を込めて初の+アルファ「芸術鑑賞」とします。』

日時

2015年5月5日(火・祝)

天候

快晴

担当

紀伊埜本節雄、大石隆生

集合

7:50 阪急梅田3F改札口前

行程

阪急三宮⇒新神戸駅~旧摩耶道~東山~天狗道(六甲縦走路)~摩耶山上野道~五鬼城山~原田の森ギャラリー~阪急王寺公園駅

参加者

西村晶、西村美幸、安本昭久、安本嘉代、青木義雄、和田都子、池田える子、小杉美代子、牛山友幸、和田良次、和田敬子、喜多田恵美子、紀伊埜本博美、和田晴次 ・・・ 計16名

8:56 新神戸駅、新幹線2階の南出口。閑散としているのは車、タクシーの発着場だからか、それにしても閑散としているなあ

山手に向かうといきなり急斜面の街路に出くわす。ゆっくり歩き始めないと初手から喘ぐことになる。

地理院地図には卍マークはあるが名前のない寺院の石段を登る。

最上段はこのような空き地。本来ご本堂がある?と思われるが、かわり明解な登山口の標識がある。

10:00 旧摩耶道と学校林道の分岐点を行く。天気は上々、カラリと乾いた空気が心地よい。旧摩耶道は旧天上寺の山門に至るのでここで見送る。往時はしっかり踏まれていたであろう古道だ。

10:40 六甲縦走路に出る。学校林道と呼ばれる尾根道は林道に非ず、静かな山道であった。

あとは摩耶山が間近に見える。が意外にこの路は縦走路のなかでもしんどいところだ。小さなピークが次々現れて、まだかまだかと思わせるところだ。

11:40 摩耶山頂掬星台(キクセイダイ)広場に着く。日陰を選んで昼食とする。初夏を満喫する爽やかなひととき、うーん満足だ。

ところで摩耶山の三角点は掬星台には無い。上野道を下る前に少し西に戻って確認に行く、眺望はないが確かに三角点はある。

満開の躑躅、三つ葉躑躅と云えばよいのか、相変わらずの花音痴です。

三角点から上野道に出る道。歴史の散歩道に相応しい朽ちかけた石段もみられる。

突然、眺望が広がる。昭和51年に失火炎上した旧天上寺跡である。尾根上に現れた台地、さしずめ「天空の寺社跡」ともいえる風景に出くわす。

寺社跡の台地から真直ぐ延々と下り続づける石段に驚く。この石段の両側に昭和の炎上前には多くの伽藍(僧院)が建ち並んでいたという。(上段の写真)

その昔、摩耶山一帯の最盛時は比叡山、高野山と並び伽藍300、僧数3000の大寺であったと伝えられているそうだ。この台地に立つとたしかに気宇壮大な気分になる。

石段がすべて終わったあとに炎上を免れた山門がある。現在修復工事中だが、残念ながら写真は無い。その代わり野辺のしゃが花一輪、咲いていた。

上野道はいわゆる旧表参道である。本来は尾根上を辿るが、険しい尾根筋で、ところどころで岩頭の台地に出る他は山腹を上手に切り開いてある。

この様に、緩やかに山腹を縫う道が何か所もある。人が人の為に、人の歩く道を作ったという実感がある。歩き心地の良い道だ、古道の味わいがある。

13:16 最後に出た台地がこの展望台だ。付近の道標には五鬼城公園とある。山下の町名に城下通(二)とあるから、この辺り一帯が城跡であると思われる。何かの記憶からその城主の一人が赤松円心と覚えるが定かではない、調べてみたいと思う。

14:10 本日の+アルファの会場、原田の森ギャラリーに到着した。参加者の皆さんは予想以上の大会場に驚いたそうだ。

本館1階、2階、東館の総てが関西新制作展の会場となっている。1階フロアーの受付嬢の後ろ正面に、いきなり和田さんの作品が目に入った。うちあわせのとおり、しずかに一人ずつ歩み寄った。

この絵が、和田さん独自の強い写実性に基づいた作品です。写真ではありません、写真をはるかに凌ぐ強烈な迫力に迫られます。門外漢の私では説明できません。何でしょうか此の正体は、

ここには北アルプスの鹿島槍北壁が描かれています。若かりし頃、命を懸けて恋い焦がれた氷壁、登り残した数々の山、そんな想いが今なお和田さんの絵に現れているのでしょうか、

 

 

熱気の醒めやらぬまま、カフェテラスでお茶を飲みました。隣接する小さな喫茶店の粋なはからいで、和田さんを囲みゆっくり寛ぐことが出来ました。

 ご存知でしょうか、EPEクラブの設立趣旨のなかに「登山やスキー、ハイキング等の野外活動と、歴史探訪や芸術鑑賞もその視野に入れています」と述べられています。そして今日初めて、プラス・アルファ14回目にして食べ歩きの枠を一歩出ました。

 和田晴次さんは、EPEクラブの設立間もないころから毎年の新年総会に一枚の絵を寄贈されています。宴たけなわの抽選会でその絵を仕留めんとひと騒ぎする光景は楽しいものです。最初にどんな経緯で頼んだのか、頼んだ私ですら忘れてしまった今、既に贈られた絵は9枚になると聞きました。その一枚一枚は毎年、誠実に精魂込めて画かれたもので、彼の性格(お許しあれ、彼と私は共に最初のザイルパートナーであることに免じて)からして、出来上がった作品に彼の姿が滲み出ています。彼は今年、傘寿を迎えました。残された時間をさらなる制作に没頭したいがため、毎年の寄贈を止めさせてほしいと申し出がありました。ここにきてうかつな私でもハッと気が付きました。なんと無神経な頼みをそのままにしていたことか、申し出を感謝とともに受けましたことは云うまでもありません。かくしてささやかなお礼を込めてこの例会を仕組みました。

 彼の益々の精進と活躍を念じるばかりです。そして、あえて「まだ80歳ではないか!」と喝を入れましよう。彼の内なる炎の続くかぎり、いつまでもがんばってもらいたいと思います。

記:紀伊埜本(節) 写真:西村(晶)、大石