一般例会No.422

湖北・行市山(660m)例会記録

概要

『湖北の山も登り尽くした感がありますが、残っている山のうち戦国期柴田勝家の砦となったという山を訪ねます。』

日時

2015年10月11日(日)

天候

曇り

担当

板谷佳史、杉本康夫

集合

7:30 JR新大阪駅3F千成瓢箪前(7:43新大阪駅発 新幹線こだま638号に乗車 8:19米原着、北陸線乗換え8:30発 敦賀行きに乗車、8:55木ノ本駅着)

行程

木ノ本駅⇒9:13発(余呉町コミュニティバス)⇒9:32今市バス停着~毛受兄弟墓~別所山~行市山~今市バス停⇒15:33発(余呉町コミュニティバス)⇒15:52木ノ本駅着

参加者

梅田寛子、和田都子、神阪洋子、岩本和行、小川眞裕美、青木義雄 ・・・ 計8名

9:38 バス停前で出発の挨拶と自己紹介

9:41 民家の庭先に咲くコスモス

9:48 毛受(メンジュ)の森には賤ヶ岳合戦で柴田勝家の身代わりとなり討ち死にした毛受兄弟の墓があり、賤ヶ岳戦跡めぐり案内板も立ててある

9:52 行市山への案内板でコースの概要を見る

10:03 登山道は、地元の小学生も登る登山コース。時々距離表示がある

10:10 林谷山砦跡は300m先なので横目で見て通過

10:58 気持ちの良い自然林の中を行く

11:00 右奥が別所山砦跡。広い台地上になっていて鎌倉の頃より天台宗別所山万福寺があったそうです。

11:50 行市山頂上で昼食休憩。この奥に三角点がある。天気が良ければ南側の見晴らしが良いのだが・・・。前田利家・利長父子の砦はここではなく展望のきく南側に築かれていた。

12:30 笹藪へ突入、降り道で踏み跡ははっきりしていて20分ほどで笹藪を抜ける

13:00 左奥の登山道から林道に降り立つ

13:39 林道から元の登山道に入る時点で少し雨がパラつく

13:51 北国街道を望む。往路より視界は良い

14:20 毛受の森の登山口に下山。15:33発のバスを待つ

 行市山は野坂山地の東端として位置付けられる山で、戦国期柴田勝家の砦となって各配下の陣地が築かれ、全山要塞化していたという。しかし賤ヶ岳の合戦の折り、幾万ともいう柴田方軍勢は一度もここ行市山の陣に依ることもなく余呉湖畔で秀吉方に敗北することになったという、歴史の山である。

 バスは木ノ本駅から北国街道(R365)を走り、余呉町今市で降りる。身支度を整え、歩き出すとすぐ集落のはずれに柴田勝家の身代わりに討ち死にしたという「毛受(めんじゅ)兄弟の墓」がある。登山道はそこから始まる。尾根上には次々と各武将の砦跡が現れ、説明板を見ながらの登高となる。各砦間を人馬が行き来したというだけあって、山頂直下のわずかな急登を除きなだらかな山容が続き、歩き易い。やがて勝家の甥佐久間盛政の陣地跡という行市山山頂に着く。東に七々頭ヶ岳や呉枯ノ峰がうっすらと望まれる以外は低い雲に覆われて展望はほとんど閉ざされているのが残念。昼食休憩の後、山頂から直接東に延びる尾根を下降するが、しばらくは背丈以上の笹が茂った急斜面に苦労する。やがて中腹を横切る林道に降り立ち再び元の登路と合流して今市バス停に戻った。

記:板谷 写真:杉本(康)