一般例会No.424

京都・鷲峰山(682m)例会記録

概要

『役行者が開いたと言われる山岳宗教の霊山で、奈良県の大峰山に対する「北の山上」と知られています。』

日時

2015年10月25日(日)

天候

快晴

担当

杉本康夫、野原勇

集合

7:50 京阪淀屋橋改札口前(8:10発 特急・出町柳行に乗車、中書島駅乗換え、9:08京阪宇治駅着、9:25発 京阪宇治バス維中前行きに乗車 維中前バス停下車)

行程

維中前バス停~大道神社~観音山休憩所~鷲峰山~釈迦岳~茶宗明神社~工業団地口バス停~維中前バス停⇒京阪宇治駅

参加者

板谷佳史、安本昭久、安本嘉代、飯尾廣子、青木義雄、寄川都美子、小川眞裕美、江本恭子 ・・・ 計10名

10:00 維中前バス停にて出発前あいさつ。

今日のコースは「鷲峰山祈りの参詣道」です。

40分程、車道をテクテクと辿ります。

ハロウイーンも間近、通行人へのプレゼント。

見事に手入れされた茶畑、美しい日本の風景です。

緩い登り道が続きます。

11:42 昼食休憩、東屋もトイレも完備。なんと東屋には電灯まで設置されていました。

落ち葉を踏みしめ鷲峰山目指す。

もうすぐ金胎寺、寺の赤い幟が続いています。

金胎寺多宝塔(重文指定)

鷲峰山説明板を読むと、毎度お馴染み山のスーパースター役行者の登場。修験道の行場もあることから「北の大峰」と言われる理由も分かりました。

12:50 鷲峰山最高峰の空鉢峰頂上。三角点はなかったが、重文指定の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が立っていました。

鷲峰山を後に釈迦岳へ向かう。

13:20 釈迦岳頂上の天測点標石 天測点:天文測量のため昭和29年から5年間に全国48か所(現存45か所)に設置されたもので、近畿では4か所に設置されている。地理調査所:陸軍省参謀本部陸地測量部が、終戦直後の昭和20年9月1日に内務省地理調査所、昭和35年7月に国土地理院に改組されています。陸軍省から内務省への移管の話は、終戦当日の8月15日に地形図等の焼却を指示した陸軍参謀総長に対して、将来の国土発展の基礎となる地形図を守ろうと画策した青年将校達のドラマがあった模様です。

三角点看板、こんな立派な説明板は初めて見ました。でも何故釈迦岳三角点でなく、鷲峰山三角点なのか?

天測点標石に興味津々のメンバー。天測点とは何?地理調査所とは何? この頂上は疑問だらけ。

永谷園の祖(永谷宗圓)を祀った茶宗明神社へ向け樹林帯を下る。

15:00 茶宗明神社横に保存されている永谷宗圓の生家、土曜日・日曜日は観覧可能で製茶道具等を見学。永谷園の礎がこの小さな家からスタートしたことがよく分かりました。

「日本緑茶発祥の地 宇治田原」の町を歩く。

16:00 長い道路歩きを経て、やっとスタート地点の維中前バス停に到着、解散。

 鷲峰山金胎寺は「役の小角」によって開かれ、平城京の鬼門封じの寺として、聖武天皇によって堂が建立され勅願寺とされたそうです。また奈良県の大峰山に対して「北の山上」とも知られ、山頂付近には有料ながら行場巡りができてたくさんの人が訪れているようです。

 維中前でバスを降り澄み切った青空の中、茶畑やたわわに実った柿の木を眺めながらのんびりと車道を行く。途中には信西入道塚や大道神社、秋の紅葉などがあり町の名所になっているそうです。金胎寺の門前を過ぎ本堂弥勒堂や多宝塔のある広場からさらに登ると鷲峰山に到着。ここは越智泰澄法師が、麓まで托鉢を飛ばして食料を得たと言う伝説から「空鉢の峰」とも呼ばれているそうです。山頂からは京都市街や琵琶湖、比叡山などの山々が望まれるが、風が吹いているので日陰に入ると結構寒い(一人半袖で元気な人がいたが)。鷲峰山は金胎寺の山号としての山(国土地理院の地図ではここが鷲峰山となっている)とここより北東約700mの位置に「釈迦岳」と呼ばれている一等三角点の鷲峰山が存在する。一等三角点を踏んだあとは湯糟谷を下り茶宗明神社 (ちゃそうみょうじんじゃ)に降り立つ。この神社は、日本緑茶の祖 永谷宗円の功績を讃える神社だそうだ。神社横には宗円の生家があり地元の人たちにより改修され、私たちも家中を見学させてもらう。

 翌日、新聞を開くと「木枯らし1号」が吹いたと報じられていた。

記:杉本(康) 写真:野原