一般例会No.434

和歌山・高野三山(摩尼山、楊柳山、転軸山)例会記録

概要

『弘法大師ゆかりの荘厳な雰囲気漂う雪の高野山を楽しみます。』

日時

2016年1月17日(日)

天候

晴れ後曇り

担当

野原勇、紀伊埜本節雄

集合

8:00 南海難波駅北改札口前(8:13発高野線・急行橋本行き乗車、橋本駅下車、9:08極楽橋行き乗車、極楽橋下車、10:03ケーブル乗車、高野山駅下車、10:14りんかんバス乗車、奥の院前下車)

行程

奥の院~摩尼山~楊柳山~転軸山~奥の院

参加者

小原武尚、小川眞裕美、寄川都美子、高木恵美子、保木道代、近藤さとみ、岸田暎子、谷村洋子、前田守、青木義雄、和田敬子、藤田喜久江、池田える子、和田都子、牛山友幸、幸野光加、紀伊埜本博美、村木正人、村木とも子 ・・・ 計21名

10:49 バス停「奥の院前」で出発の挨拶

白い雪が残る参道を行く

高野三山1番目の摩尼山に向かう林道に入る

11:29 摩尼峠に至る。これより高野女人道に合流

11:59 摩尼山(1004m)に到着。小さな山頂の祠

摩尼山山頂の道標

何とか面目を保つ雪の女人道 その1

何とか面目を保つ雪の女人道 その2

12:50 黒河峠に至る。東西に峠を越える踏み跡がある

黒河峠の道標

13:12 高野三山2番目の楊柳山(1009m)に到着

楊柳山の道標。居心地の良い山頂だ

13:58 子継峠に至る。奥に子安地蔵が安置されている

高野三山3番目の転軸山へ最後の登り

14:56 転軸山山頂に到着。山頂に祠は常に安置されている

転軸山の道標 これより女人道と別れ東へ下る

奥の院(弘法大師廟)へは畏れ多くも裏口から到着した

16:09 バス停「刈萱堂前」に終着

 雪の高野山を期待してこの時期に計画しましたが、今年の冬はさっぱり。稜線の北側斜面に雪が残っていたがそれも僅かで残雪と言える代物でもなかった。

 10:35奥の院前スタート。企業の慰霊碑等に並んで、阪神・淡路大震災の被災者慰霊碑も建立されていました。今日は阪神・淡路大震災21年目の当日。私も当時は被災地の職場に勤務していて電車が完全にストップしたため、自転車で3時間以上かけて倒壊家屋や瓦礫を避けながら出勤。午後8時過ぎには神戸市内から瓦礫を乗り越えて10時間以上歩いて出勤してきた埃まみれの職員もおりました。その後24時間絶えることのないパトカー、救急車のサイレンの音を聞きながら5日間職場に泊まりこみ1日だけ帰宅、また1週間職場に泊まりこんで勤務したことを思い出しました。被災後1週間余りして職場の屋上から見た光景は決して忘れることは出来ません。多くの屋根にかかったブルーシートの海でした。今日参加されたメンバーそれぞれ山に登れる幸せを思ったのではないでしょうか。

 参道を外れ林道を進み、摩尼峠を経て摩尼山で昼食休憩。休憩後尾根道を下り黒河峠からピラミッド状に尖った楊柳山頂上へ登る。楊柳山頂上からは子継地蔵まで急な下り。今回のコース上で最も注意を要する急坂だ。子継地蔵から転軸山への途中に三本杉という掲示があり寄り道をして探したが、大杉が多過ぎて特定出来ず。最後のピーク転軸山へは車道を一旦横切って20分余りの登り。転軸山を下ると線香の香りが漂う弘法大師の眠る奥の院御廟に直接出る。その後は著名な武将や大名、戦没者、企業の墓所や慰霊碑が連なる奥の院参道を通り、苅萱堂バス停へ。バス停前で解散としました。

記:野原 写真:前田