一般例会No.454

裏六甲・水晶山(710m)~古寺山(636m)例会記録

概要

『裏六甲は静かなハイキングが楽しめます。カナ文字の名称が多くハイカラ風ですが、古寺山は約800年前、源平合戦で焼き払われた唐櫃の旧多聞寺跡です。その痕跡が見られそうです。』

日時

2016年6月5日(日)

天候

晴れ

担当

紀伊埜本節雄、杉本康夫

集合

8:20 阪急梅田駅3F改札口前(8:30発 特急・新開地行き乗車)

行程

新開地駅⇒神鉄大池駅~地獄谷西尾根~ダイヤモンドポイント~シュラインロード~古寺山~神鉄六甲駅

参加者

近藤さとみ、佐藤敏子、和田敬子、杉本栄子、藤田喜久江、小杉美代子、大森朋江、小川眞裕美、岸田暎子、寄川都美子、保木道代、板谷佳史、谷村洋子、紀伊埜本博美、横山寿夫、翁長和幸 ・・・ 計18名

9:55 大池の住宅街途中で、リーダーより「山は楽しく‼」と出発前の挨拶

10:35 地獄谷西尾根の末端から急登が始まる

12:07 尾根上のピーク水晶山を通過。笹に覆われた水晶石の形をした石柱に水晶山と彫られている。国土地理院の地図位置と違うようだ

12:24 展望の良いダイヤモンドポイントで昼食

ダイヤモンドポイントから西~北方面の山並みが見渡せる

13:12 ノースロードとシュラインロードとの合流点、ここからシュラインロードを下降する

シュラインロードを歩くと多くの石仏が見られる

素朴な姿の石仏が次々と鎮座されており、シュラインロードの名に納得

13:56 ドライブウェイを横切ってからシュラインロードから外れ、古寺山への尾根に入る

14:29 古寺山の頂上で前代表から平家ゆかりの地という古寺山や多聞寺にまつわる説明を聞く

山頂には大岩が点在し、平清盛も立ったのでは?という話

15:28 古寺山から神鉄六甲駅近くのこの地で移転・再建された多聞寺へお参りに行く。その後六甲駅で解散した

 裏六甲という呼び名は失礼かもしれませんが、表六甲に比べるとたしかに地味で閑疎な趣があります。しかし、それがまた好ましいと思われているのもたしかです。事実、裏六甲の山道は静かで落ち着いたプロムナードです。

 さて、今回は一捻りして裏六甲から裏六甲へ、六甲山台地を敬遠するプランとしました。御存じの通り六甲山台地は明治以来、神戸に住む外国人達が先駆して開発した別荘地です。なかには創立100年を超える日本最古の由緒あるゴルフ場もあります。思うに、このリゾート地を通過し表六甲に出るか出ないかは登山者の選択次第、通例に沿うことはないわけです。

 水晶山を経て、その先のダイヤモンドポイント(六甲山台地の北の突端)まで同じ一筋の尾根続きです。登山路はここまでが裏六甲の範囲です。あとは台地の北端を通るノースロードからシュラインロードへと移動しました。ハイカラなカナ文字の道標を横目に「シュラインとはいったい別荘住まいの外国人の名前か?」と、知らぬ同士の権兵衛さんの会話でした。ところが実は、シュラインとは英語で神社に相当するそうで、そう云えばこの道には小さな石仏が点々と並んでいました。もとは唐櫃と御影を結ぶ六甲越えの古い路で、道祖神とした石仏を見た外国人がシュラインロード(神社の道)と名付けたそうです。

 古寺山はシュラインロードから外れて、尾根道を一汗登り返した山頂です。唐櫃の多聞寺は元この山頂にあって、約800年前の源平合戦で焼き払われたそうです。山頂の手前には大きな塔頭もあったであろう平ら地が見えました。しかし残念ながら、その他の痕跡は探す余裕はありませんでした。ただ、源平時代に想い馳せる私はひとり興奮しました。福原遷都を企てた平清盛が、福原(神戸)から鬼門の方角にあたるこの多聞寺を、京の都から同じ鬼門にあたる鞍馬寺に擬らえて、大きな援助を与えたと云われています。確かにこの山頂は有馬街道の要害地として戦略的にも最適な位置にあります。「清盛の涼み岩」と名札の掛かる石に座ってみました。樹木を払えば有馬街道は正に眼下にあります。「今日は思わぬ拾いものをしたぞ!」とまたひとしきり興奮しました。

 神鉄六甲駅まで下って、ついでながら江戸期に再建された現在の多聞寺に参拝しました。200段以上はあろう石段を喘ぎながら上ると、閑疎な寺社が一つ時代に取り残されたように佇んでいました。帰り路のことです。大阪に近づいた電車の席で「今日はどこか遠いところから帰ってきたような気がする」と同行の一人が呟いていました、同感です。裏六甲とはそれだけ遠くて近い味わいのある山だと思います。

記:紀伊埜本(節) 写真:杉本(康)、板谷