一般例会No.483

西田保、村本俊弘両氏慰霊登山 西六甲・高雄山(476m)例会記録

概要

『神戸市立森林植物園内から北ドントリッヂ、南ドントリッヂと呼ばれる尾根筋を結んで高雄山に至ります。静かで味わいのあるルートです。西田、村本両氏を偲びながら名残の紅葉を踏み分けましょう。両氏との知遇に関わりなく一人でも多くの会員で賑やかに送りましょう。』

日時

2016年12月4日(日)

天候

晴れのち曇り、雨

担当

紀伊埜本節雄、秋田文雄

集合

8:30 阪急梅田3F改札口前(8:40発 新開地行き特急に乗車)

行程

新開地⇒北鈴蘭台駅⇒(森林植物園無料バス)森林植物園前(入園料300円)~北ドントリッヂ~南ドントリッヂ高雄山~市ヶ原~新神戸駅

参加者

小椋美佐、小川眞裕美、西村晶、横山寿夫、野口秀也、神阪洋子、江本恭子、板谷佳史、池田える子、藤田喜久江、和田都子、梅田寛子、山本京子、小椋勝久、三原秀元、岩本和行、寺島直子、保木道代、安本昭久、安本嘉代、黒澤百合子、桝田誠寛(泉州山岳会会長) ・・・ 計24名

10:15 神戸森林植物園入り口。本日の参加者24名、入園料は団体割引を申請して270円。北鈴蘭台から無料送迎バスを利用、10分ほどで到着した。

10:30 お天気は今のところ晴れ、植物園内の名残の紅葉のなかゆっくりとスタート。北ドントリッヂは園内から始まっているため、園外からは登れません。

10:48 ルートの取り付きはちょつと迷うところ、ハイキングコースではないので標識はありません。しかし明瞭な尾根筋です。

やがてオヤ、オヤと思う痩せたリッヂが現れます。両側をブッシュに囲われているため高度感はないが、気分良くこの痩せ尾根が続きます。

11:49 北ドントの最終ピーク460mから次の南ドントの間に大きなギャップがあります。その鞍部を横切る車道に分水嶺越と地図上記名があります。たしかに東が布引谷、西が天王谷ですが、一瞬どこの分水嶺?かと、ドギマギしました。

12:03 車道を挿んですぐに南ドントリッヂが始まります。ここは既に植物園外で立派な道標に「南ドーントリッヂ」と示されています。つまり分水嶺越と名のつく車道によりドントリッヂが南北に分断され、かつ北部が有料の植物園内にあるというややこしいルートです。

12:19 南ドントリッヂもハイキングコースとして静かな気持ちのいいルートです。

12:45 高雄山山頂に到着しました。空模様が怪しげなことから、ここまで小休憩は1回だけ、それでも長老は疲れ知らず、この通り元気いっぱいです。

さて山頂下の広場で本日の主旨、西田保氏、村本俊弘氏の追悼に全員黙祷を捧げました。続いて板谷代表の挨拶、両氏のここに至る功績を称えられました。

秋田リーダーより五十数年に及ぶ両氏との交流の話し、参加者の胸に深く刻まれるものがありました。

山頂から市ケ原に向かって南へまっすぐ下ることにしました。六甲の南斜面に入ると、なおいっそうの紅葉が広がっていました。

高雄山、再度山一帯は広葉樹林のマークが地図上点々と見られます。非常に心地よい穏やかな山道を辿ります。

静かな山道を、ただ黙って歩くだけで亡き両氏への供養となるでしょう。

ましてや、いつものように何にやかやと賑やかにお喋りしながら歩くことは、両氏への供養がもっと増すに違いありません。両氏は、とくに西田氏は、いつも列から数歩離れた後ろを微笑みながら歩かれていましたね。

13:20 市ケ原の林道に降り立ちました。怪しげな空からようやくポツリと雨粒が落ちてきました。

布引貯水池を右に見ながらまだまだお喋りは続きます。生きていることは素晴らしい、元気が一番とかとか、これこそ最高の供養です。

今秋見納めの美しい紅葉でした。

14:05 新神戸駅まで残り15分となって一斉に傘が開きました。今日と云う日の、締めくくりに相応しいタイミングでした。

 今日、初めて入園した森林植物公園の隣接地(再度公園)に、外国人墓地のあることはよく知られています。尤も、よく知られていることと自分が確かに知っていることとは別物で、現に大正初期?外国人居留地に住いされていたドーント氏が、この痩せ尾根のドントリッヂを好んで登っておられたことから、その名が今も残されているなど全く知らなかったことです。ドーント氏はおそらく、当時すでに私共と同じ山の趣向を持ち合わせておられて、失礼ながら墓参りのついでにひとり楽しんでおられた?と、これは勝手な私の想像です。神戸開港の頃の外国人居留地について少し勉強してみようかなと思います。

 西田保氏、村本俊弘氏の追悼登山が無事行われました。偶然ですが、両氏の人柄を偲ばれる静かなコースで本当に良かったと思います。両氏の訃報に接する前に、既にこの例会は企画されていたものへ急遽組合わせて頂きました。その上、あいにくの天気予報で今日は雨模様だ?と知らされていたなか、24名もの多くの皆さんの参加を頂きました。これは明かに両氏の人徳によるものだと思います。

 またこれも偶然ですが、両氏は共に五十数年に及ぶ泉州山岳会の在籍経歴のなか、ただ黙々と、何の野心を抱くこともなくひたすら自身の信じるまま、山また山を登り続けられました。いずれその功績は明かにしたいと思いますが、両氏の生き様を顧みますと、私ども俗物は敬意と驚嘆の思いでいっぱいになります。両氏ははからずも同月に前後して亡くなられました。また共に生涯独身で、死後一切のセレモニ―を固辞することと遺稿されたそうです。心からご冥福を祈ります。

記:紀伊埜本(節) 写真:西村(晶)、板谷