一般例会No.509

京都・北山・箕ノ裏ヶ岳(432.3m)+アルファーNo.21「岩倉具視幽棲旧宅見学」例会記録

概要

『箕ノ裏ヶ岳は鞍馬山の南に位置する静かな山です。一山越したハイキングのあと幕末、岩倉具視が幽棲していた旧宅を見学します。昨年4月から京都市の所有になり一般公開が再開されました。この棲家は大久保利通ら明治維新の群像が密かに談合を交わしたことで知られています。』

日時

2017年6月4日(日)

天候

晴れ

担当

紀伊埜本節雄、大石隆生

集合

8:00 京阪淀屋橋駅改札口前(8:10発 特急・出町柳行き乗車)

行程

出町柳駅⇒鞍馬駅~薬王坂~静原~箕ノ裏ヶ岳~繁見峠~岩倉具視幽棲旧宅~岩倉駅⇒出町柳駅

参加者

秋田文雄、小原武尚、上原進一、青木義雄、牛山恵美子、梅田寛子、池田える子、和田敬子、保木道代、野口秀也、小川眞裕美、佐藤敏子、寄川都美子、駒井万生子、西村美幸、板谷佳史、横山寿夫、安本嘉代、和田良次、安本昭久、寺島直子、西村晶、紀伊埜本博美 ・・・ 計25名

10:00 鞍馬駅で朝の挨拶が始まる。参加者25名、ハイキングとはいえ大部隊です。ゆっくり楽しく行きましょう。

駅前の鞍馬街道を少し北上した右側に由緒ある峠道、薬王坂の登り口が見えます。

よく踏まれた昔ながらの山道を登ります。往年の峠道は鞍馬、静原、大原、比叡と結ばれていました。今はハイカー達が楽しむのみ、さすがに痛みがみられます。大事に保存したいものです。

峠が近づく頃、雰囲気のある地蔵さんが祀られています。もうすぐ峠ですよとの道しるべであったのでしょう。

10:30 薬王峠を通過しました。北に天ヶ岳、南に竜王岳へと続く稜線を越えることになります。しっかりとした道標があります。

静原に向かって少し下ると阿弥陀二尊板碑が立っていました。巨木の根に巻き込まれている様子からかなり古いものでしょうが、傍らの説明板には南北朝後期?の碑とあります、如何なものでしょうか。由緒は別としてやはり峠の道しるべとして何代かにわたるものかと思いますが。

11:00 静原の里に入りました。6月とは思えぬ爽やかな風につい足取りも軽やかになりました。

倉庫の屋根越しに箕ノ裏ヶ岳の山容を確認しました。穏やかな姿です。

山里の田圃を通過します。静原の名にふさわしい風景です。しかし先導する読図コンビ(指名制)には気の揉める地勢ですね。

11:35 村落の小さな墓地に到着しました。箕ノ裏ヶ岳の東の肩に相当します。そのまま南に下れば岩村に至る峠です。

峠には箕ノ裏ヶ岳登山口の道標がしっかり立っていました。里歩きからまた山歩きに変わるリズムはまた最初からゆっくり歩き出すことですね。

道筋も明瞭です。参加者の誰もが来たことの無い山って何故か素敵ですね。

明るい森の様な幅広い尾根筋に出会いました。古田の森(大峰釈迦ヶ岳)をふと想い出しました。もう一度歩いてみたい古田の森です。

12:30 箕ノ裏ヶ岳山頂に到着しました。残念ながら眺望はありません。頃合いの昼食になりました。日陰と日当たりとを交互に座りたくなるような快適なお天気でした。

13:02 山頂を後にしました。どうやら今日は山蛭も真ダニの被害も無いようです。

13:38 繁見峠です。ここもどこか爽やかな風景です。伐採された跡地のようですが、見上げるほどの高さの細い松の木が数本、まるで鯉のぼりのたなびく様に風に吹かれていました。ここは箕ノ裏ヶ岳の西肩に相当します。

繁見峠から南東へ岩倉に通ずる繁見坂です。最近の地図には峠の記載は無く「繁見坂」と記載されています。面白いのは、野口さん持参の昭和初期の地図には繁見峠、それも右書き出しの「峠見繁」とありました。

14:28 プラスアルファーのお目当てである岩倉具視幽棲旧宅に着きました。正門は左に10m程、いま入るところは通用門です。但し岩倉卿が幽棲した当時は白壁の塀も無く、敷地は現在の半分にも満たない200坪程、それは大工藤吉の居宅を買い上げたものだそうです。

まずは300円の入場料を支払い対岳文庫の前で一休みしました。さらに紅い毛氈の床几に座り無料のお茶、珈琲のもてなしを遠慮無く全員が頂戴しました。いいんでしょうか?幸い他に見学者は数名程でしたがご迷惑をお掛けしたと思います。なお「対岳」とは比叡山と対峙するという意味をもつ岩倉卿の雅号です。

さて次は事前にお願いしていた京都文化史跡のボランティアガイドさんから、主屋の縁側に腰掛けた私共に岩倉卿とその幽棲宅について熱意をこめた説明を頂きました。まことに有難いことです。その上私共の面前にはよく手入れされた老松、趣のある庭が拡がり一服の癒しを与えてくれました。

主屋の奥、中庭の廻りの縁側にも案内されました。下世話な話ですが、坂本竜馬や中岡慎太郎、大久保利通もこの縁側でごろりと寝そべり天下国家を語っていたのでしょうか。それは僅か150年前のことです、白昼夢を視る思いです。

15:36 見学を終えたあと門前にて解散をしました。実は「床みどり」「床もみじ」で名高い実相院がついそこにあるのですが、誰も、私も含めて行ってみようという方はありませんでした。今日はこれにて充分堪能したのでしょうか。

 楽しいハイキングにもう一つ楽しみを加えた例会、それが+アルファーと云う例会です。これまでかなりの回数を重ねてきましたが、当初からもっぱら食いしん坊の食べ歩きが続いてきました。ところが、近頃は文化史跡の類に移りつつあります。それは多分、担当者のお歳のせいかもしれません。それとも遅まきながら大人の成熟というものでしょうか、ともあれこのまま流れに任せて行こうかと思います。

 今日のボランティアガイドさんは美しい素敵なご婦人でした。岩倉具視卿のことを具視さん、具視さんと親しげに語っておられました。岩倉の地名は具視さんの棲家から出たものでしょうか、それとも地名岩倉が先に在ったのでしょうかと、まずクイズから始まりました。面白い設問です。私はたちまち具視さんに親しみを覚えました。

 時代は巡ります。昭和初期の女優小桜葉子さんの曽祖父は具視さんでした。とすると加山雄三さんは具視さんの玄孫(やしゃご)五代目ということになります。歴史への興味や関心はこんなところから始まるものだと思います。如何でしょうか。

記:紀伊埜本(節) 写真:大石