一般例会No.578

佐和山城(232.6m)歴史探訪シリーズNo.41 例会記録

概要

『三成に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山城、と言われた佐和山城を訪ねます。島左近の居城、椿井城跡から関ヶ原 南宮山と巡ってきましたが最後に三成終焉の地佐和山城を訪ね、彦根城へと向かいます』

日時

2018年12月16日(日)

天候

晴れ後曇り

担当

小椋勝久、野原勇

集合

7:45 JR大阪駅中央改札口前(8:00発 近江塩津行き新快速に乗車、彦根駅下車)

行程

彦根駅~大洞弁財天~弁天山~佐和山城~南西尾根登山口~彦根城~彦根駅

参加者

村木正人、村木とも子、大森朋江、上野あさみ、安岡和子、小椋美佐、渡辺健、近藤さとみ、寺島直子、脇本勇二、横山寿夫、板谷佳史 ・・・ 計14名

9:30 JR彦根駅前にて、出発前のリーダー挨拶

佐和山城跡への案内標識 上部の家紋はいずれも石田三成が使用していたもの

左上:大一大万大吉(一人は万民のために、万民は一人のために)

右上:「下がり藤」

9:55 井伊家菩提寺「清凉寺」、元は領主石田三成が禄高の半分を与えて召し抱えた重臣「島左近」の屋敷だった。

10:15 ハイキングコース入口の石段を上がる。

佐和山城跡登り口

まもなく佐和山城跡

10:50 佐和山城跡到着、石田三成滅亡後、領主となった井伊直政によって「石田三成に過ぎたるもの 島左近と佐和山城」とまで言わしめた城は跡形もなく徹底的に破壊され尽くされました。ここで昼食休憩

伊吹山方面を望む、わずかに積雪あり

眼下にこれから向かう彦根城を望む

12:20 彦根城内堀前にあった郵便ポスト(正式名称は「郵便差出箱」)、彦根城模型が乗っかっていました。

彦根城本丸への登城口

12:30 国宝彦根城天守 多くの城が明治初期の廃城令によって破壊されたが、明治天皇の勅命によって残された数少ない城です。破壊されていなければ数多くの城が彦根城同様に国宝、文化財として残っていたはず、まったく勿体ない。

彦根城から佐和山城跡方面を望む

玄宮園庭園

13:55 彦根城出口にて解散

 彦根駅に降り立ち北東方向を見ればお椀を伏せたような山が間近に見える佐和山城本丸跡だ。彦根駅東出口から佐和山のすそ野を北に向かい井伊家菩提寺、清涼寺、井伊神社を通り過ぎると大洞弁財天(彦根の東北にあり軍事的な要素を持つ藩寺)に着く。弁財天境内を通り裏手から弁天山に向かう。少し急登を登ると尾根に出る。

 尾根は木立の中の道でハイキング気分の中、南へ30分ほど歩くと本丸跡に着く。本丸跡からは伊吹山、琵琶湖、三上山、北国街道と中山道の分岐など360度の見晴らしだ。なるほどここに城を構えるのも頷ける。城跡は見る影もなく破壊されていて関ケ原後の徳川の徹底した豊臣排除が見て取れる。

 冬枯れの本丸跡にて石田三成の話をした後 彦根城を見下ろしながら昼食をとる。本丸跡には散り残ったモミジが雪をかぶった伊吹山に重なり武士の哀れを一層引き立てるなと三成の句を思い出す。

 『散残る 紅葉は殊に いとほしき 秋の名残りは こればかりぞと』

 昼食後佐和山の三角点を確認し、登城道から太鼓丸跡を通り国道8号線へ出る。ここから彦根城へと向かい彦根城内を散策し帰途に着きました。

記:小椋(勝) 写真:野原