一般例会No.614

秬谷(きびたに)から和泉高城山(649m)例会記録

概要

『和泉高城山の北側、秬谷(集落名)から登ります。下山路はP567m~P350mを経て「ほの字の里」温泉まで、登り下りとも登山者をあまり見かけないルートになると思います。下山後、温泉で疲れを癒しましょう。「ほの字の里」は廃校小学校を活用された温泉です。また秬谷には戦国期、根来雑賀衆の最大規模の要害、根福寺城跡が放置されたまま残されています。』

日時

2019年10月27日(日)

天候

曇り後晴れ

担当

紀伊埜本節雄、西村晶

集合

①南海難波駅・南海本線7:55発関西空港行き急行乗車⇒貝塚下車

②水間鉄道貝塚駅8:30発水間観音行き乗車⇒水間観音下車

③水間鉄道バス・水間観音駅発蕎原(そぶら)行き8:48発 乗車

行程

水間観音駅⇒(水間鉄道バス)秬谷バス停~高城山P567m~P350m~「ほの字の里」⇒(バス)水間観音駅解散

参加者

片山純江、喜多田恵美子、馬場美穂子、安本昭久、村木正人、脇本勇二、前田守、翁長和幸、安岡和子、村木とも子、飯尾廣子、大森朋江、西村美幸、和田良次、和田敬子、西向美保子、寺島直子、保木道代、安本嘉代、上原進一 ・・・ 計22名

水間観音駅から蕎原(そぶら)行の巡回バスに乗る。乗客は私達の他1名。水間寺と云えば「悪名」の作家、今東光が住職を務めていたお寺だ。八尾のボロ寺からの栄達だったというが、古い話だね。

9:10 登路は昨年の台風ため倒木に荒された秬谷(きび谷)を敬遠して「少年自然の家」から続く尾根筋を経て高城山を目指すことにした。朝の挨拶はその説明です。

ところが、車止めを潜って5分と経たぬ間に道路を下ってきた係員に利用料一人当たり320円を請求された。大阪府の施設なのにと驚いても駄目でした。

お陰さまで妙に整備された登山路を進むことになる。

展望台まで1キロとの看板があったが、それがなかなかの急登、高差200mは朝一番のアルバイトでした。

10:25 展望台の風景、リフトの発着場のようで真下に「少年自然の家」らしき施設が見える。垂れ下がった雲の下には大阪湾が広がる。他に「少年自然の家」の西1キロほどに根来雑賀衆の要害、根福寺跡の双耳峰が俯瞰できる。320円の料金は安いかも知れない。

展望台の南、行く手には「遭難注意通行止め」のロープがある。少年たちには果たして有効だろうか?自分が子供の頃なら余計に行きたくなったろうに、施設の係員さんも難しいところだ。国土地理院の地図にあるその路を行く。

11:15 P567付近から真新し林道が現れた。この辺りは高城山から北東に派生した幅広い尾根上で林道は容易に造れそうだ。どうやら五本松の林道に合流するようだ。

11:40 五本松の林道に出た。その手前に中型のショベル車と軽トラが置いてある。今日は休日、昨日は仕事中という感じだ。

舗装された五本松の林道を行く。

12:05 高城山山頂、森の中で視界無し。記憶に残らぬ山らしくて近くを通ってもまた今度となる山らしい。私にも記憶にない初登頂?

下山路、五本松の林道から真新し林道に入る処。

この真新しい林道には、蕎原(そぶら)から近木川(こぎ)の源流に沿う林道へ2本の連絡路が新設されていた。まるで迷路のように張り巡られた林道。山間部でさへ、人はいつか歩く恵みを自ら捨てることになるのではないか、そんな風潮が迫って来る。

林道から解放されて「ほの字の里」に向かう山道。蕎原と「ほの字の里」の分岐点には意外やしっかりした道標が立っていた。蕎原、秬谷、近木川とこの辺りの地名は読みにくい、その伝統を継ぐのか「ほの字の里」とはまた奇妙な命名だ、謂われを尋ねてみたい。

14:50 「ほの字の里」の温泉に到着。バスの時間まで1時間以上の余裕があるので、温泉に浸かる人、お先に車で帰る人などあって、ここで本例会は解散となった。

「ほの字の里」は元蕎原小学校(廃校)跡を活用されたもの、その面影が小さな運動場に残っている。懐かしきかなあの頃、黙ってたたずむ人がいる。

 2018年4月から2度、この例会は雨天中止となっている。今回は3度目の正直で、まあまあの晴れに恵まれたのは良かった。その間に私は3度下見に訪れている。しかしこの辺りへの興味はいっこうに尽きない。一つは私の単なる錯覚だが、大阪府下から南に向かって登る山があったかなと首を振る。子供の頃から東に金剛、北に六甲、西と南は海という概念が私の頭から消え去らない。

 その錯覚に合わせて、この辺りの地形は単純にして複雑、地図を逆さまに持ち替えても方向を間違えることが度々、ひょとして方向感覚が老化したのかなと苦笑する。さらにまわりの低山には、室町から戦国期にかけての群雄割拠の夢の跡が点在する。まさに道草の天国である。したがって下見の効率は甚だ悪るかったと云うことです。

 ところで、この度の例会ではそんな気配は胡散のごとく消えている。ルートは単純明快、ただ歩け歩けで終わってしまった。やっぱりあれは私の錯覚だったのか、それとも尽きない興味を果たさずに見た夢か。参加者の皆さん、今一度ご一緒に楽しいルートを探し尋ねてみたいと思います。ご期待ください。

記:紀伊埜本(節) 写真:西村(晶)