一般例会No.669

故神阪鐵志氏慰霊登山 大和高取山(583m)高取城跡 例会記録

概要

『大和高取山の山頂には大きな城跡が残されています。日本三大山城の一つ高取城です。山頂一帯に広がる堅牢な石垣や、国見楼跡から見下す大和平野の眺望など、見応えは充分です。ちなみに日本三大山城とは備中松山城、美濃岩村城、大和高取城です。故神阪鐵志さんは2008年1月、EPEの例会でこの高取山から多武峰まで縦走しました。故人を知るも知らぬも、一人でも多くの皆さんと和やかに山城跡を巡りましょう。』

日時

2021年3月7日(日)

天候

晴れ

担当

紀伊埜本節雄、秋田文雄

集合

8:35 近鉄阿部野橋駅構内(8:50発 吉野行急行に乗車、壺阪山駅下車)

行程

壺阪山駅~城下町を味わいながら~黒門跡~高取山城跡~往路を下山~壺阪山駅

参加者

神阪洋子、三原秀元、安本昭久、保木道代、佐野雅美、上野あさみ、板谷佳史、西向美保子、西村晶、中川由紀、喜多田恵美子、實操綾子、大森朋江、安本嘉代、翁長和幸、野口秀也、小椋勝久、小椋美佐、村木正人、村木とも子、森本善博、杉本康夫

 ・・・ 計24名

9:46 壺阪山駅前にて出発前のあいさつ、昨年12月以来の例会実施です。遅まきながら2020年度の例会最多参加者3名の表彰賞品の授与も行われました

高取城跡へ向けて土佐街道を歩き始める

奈良になぜ土佐街道なのか?納得がいく

町家の雛めぐりが行われていて華やかです

趣向を凝らした雛飾りに目を奪われます

CGで再現された高取城、ずいぶん立派だったのです

町家を外れると山道の登りとなる、ここを登城するのはしんどかっただろう

築城時の遺構等が現れる

日本三大山城の説明板

巨大な杉が現れていよいよ天守部分が近づく

11:55 天守部分に立つ、三角点も同居

昼食後、紀伊埜本さんから故神阪鐡志さんの思い出話を聞かせていただく

13:15 下山路に立ち寄った国見櫓跡からの大和平野。この後往路を戻り壺阪山駅にて解散

 壺阪山駅の朝は、春にしては肌寒いほどである。折りから、城下町は「町家の雛めぐり」が催されていて、軒々に飾られた雛壇を眺めて行くと、けっこう華やかな気分になる。ところが、土佐街道を抜けると急坂が待っていた。久し振りの山歩きと、はて、こんな急坂だったか?とたじろぐ内に、仲間達から取り残されてしまった。気がつくと、森閑とした山城に至る道を独り喘ぎながら歩いていた。だが、これはこれで、今日という日にふさわしい気分である。もっともこれでは例会担当者としては失格だ。

 天守台跡を含む山頂は、広々と明るくなっていた。記憶にある限り、この山頂一帯は深い森に覆われていたのだが、かなり意図的に伐採されたのでしょう。でも壮大な城跡の風景は、むしろこの方が魅力的かと思われる。歴探EPEの猛者達も「いいなぁ!凄いな!」を連発している。やっぱり、神阪鐡志君の慰霊登山は、この山城を選んでこそ甲斐があったとうれしくなる。

 高取山城址は、EPEの例会で過去2度取り上げているが、実は、かなり前の若い頃に、この山城跡で「月見の宴」を張ることが幾度かあった。大樹の梢を透して見る満月を、今一度、見てみたいと思う。神阪鐡志君の十八番(おはこ)は、土井晩翠作詩、瀧廉太郎作曲「荒城の月」の正唱であった。

 下山路に、国見櫓跡に立ち寄った。大和平野が見事に拡がっている。畝傍三山が小島のように浮かぶ様は、遠い昔の営みが、今も続けられているかに思える。いつもながら、山登りは楽しい、歳を重ねるほどになお楽しい。それは常に新たな喜びを見出す挑戦でもある。笑止千万と言われようとも、それが、85歳の私のポストアルピニズムである。「なあ鐵ちゃん、聴こえる?」

 昨年末以来、コロナ自粛で中止されていた例会が、運よくこの日から順次解放されました。お陰様で、多くの皆様とともに故人を偲ぶことができました。

記:紀伊埜本(節) 写真:板谷、西村(晶)