一般例会No.698

金剛山・千早峠越え五条代官所跡 歴史探訪シリーズNo.46 例会記録

概要

『明治維新の魁となった天誅組の足跡を訊ねます。文久3年(1863年)8月公家・中山忠光、土佐藩脱藩・吉村寅太郎ら天誅組は京都で挙兵しました。その後、堺~富田林~観心寺~千早峠を越えて大和五条代官所を襲撃します。天誅組はさらに天辻峠~十津川村~大峰山脈越え~伯母峯峠越え~川上村~東吉野村鷲家へと凄まじい逃亡戦を展開します。今回はその1とします。』

日時

2021年11月3日(水・祝)

天候

晴れ

担当

小椋勝久、西村晶

集合

河内長野駅前 9:00発南海バス・金剛山ロープウエイ前行き乗車

行程

金剛登山口~千早赤阪村~千早峠~岡八幡宮~五条史跡公園(民俗資料館見学)~JR五条駅

参加者

野口秀也、大森朋江、佐野雅美、喜多田恵美子、村木とも子、片山純江、中川由紀、寺島直子、西向美保子、三原秀元、前田守、神阪洋子、中村仁紀、岩本和行、實操綾子、大岡華子 ・・・ 計18名

9:40 金剛登山口のバス停にて本日のコース説明

バス停横の小道をおりてから集落沿いの道を登る

マス釣り場の木々も紅葉の始まりです

10:25 五條林道の入り口より千早峠を目指す

11:25 野口さん 久しぶりの千早峠に到着 西村くん写真撮って

天誅組の変にまつわる歴史を聴く

今からわずか158年前の出来事です

12:10 千早峠より五條代官所に駆け抜けた山道を下る/h1>

岡八幡宮に向かう時 遠くに大峰の山々が見えました

13:50 五條民族資料館 代官所跡長屋門前に到着する

天誅組の変について資料を見ながら話を聞く

14:20 民族資料館前で解散する JR五条駅まで歩く

 文久3年8月13日孝明天皇の大和行幸の詔勅が発せられ、その先駆けとして幕府方平定を目的で主将中山忠光卿 19歳 総裁 吉村虎太郎 土佐藩  同 藤本鉄石 岡山藩 同 松本兼三郎 三河刈谷藩を中心に総勢39名が8月14日京都方広寺に集合し天誅組を結成大和に向け出発する。

 8月16日堺港に上陸し途中狭山藩、富田林水郡邸、観心寺から千早街道を通り五条に向かい五条代官所に討ち入りし五条御政府を立ち上げる。

 今シリーズの歴史探訪は天誅組の足跡をたどり天誅組について語ります。

 河内長野駅からバスに乗り金剛山登山口で下車、そこから千早の町並みに入り千早峠へと向かう。千早村には古い建物も残り街道の面影を残す。マス釣り場から府道に入り池の川沿いの林道から千早峠に向かう。林道はさして急登もなく緩やかな道でこれなら武器や食料も運べるかなと考えながらあるく。紅葉も始まり穏やかな陽の中を歩いていると千早峠に着く。峠で昼食と私の下手な天誅組始末記を聞いてもらう。峠から五条に向かうが今はハイキングコースから外れているのかあまり人は通ってなく荒れていた。蜘蛛の巣をかき分けながら下山し国道310号へ出る。国道を少し歩き村中へと続く農道に入り天誅組が休憩したと言う岡八幡神社に向かう岡八幡神社でタクシーに乗り五條市史跡公園で下車し元五條代官所門内の資料館を見学し学芸員の説明を受ける。

 今回は天誅組の行程のほんの一部ですが学芸員の説明と私の講話で天誅組の概要が分かったのではないかと思います。これからこのシリーズは続き天誅組の悲運の道のりを歩みます。

 次回をこう御期待

記:小椋(勝) 写真:西村(晶)