一般例会No.700

太子町・御陵ハイキング 例会記録

概要

『聖徳太子没後1,400年です、王陵の谷といわれる太子町の太子御廟や天皇陵などを巡る秋のハイキングです。』

日時

2021年11月14日(日)

天候

晴れ

担当

前田守、森本善博

集合

9:00 近鉄・喜志駅前(阿部野橋駅8:34発準急河内長野行き乗車⇒8:59喜志駅着)

行程

喜志駅前9:15発金剛バス・上の太子駅行き乗車⇒9:24聖徳太子御廟前下車~叡福寺聖徳太子御廟~西方寺~伝蘇我馬子墓~用明天皇陵~敏達天皇陵~推古天皇陵~小野妹子墓~竹内街道~孝徳天皇陵~六枚橋⇒(金剛バス)喜志駅又は上の太子駅

参加者

中村仁紀、喜多田恵美子、寺島直子、近藤さとみ、翁長和幸、三原秀元、岩本和行、西村晶、野口秀也、西向美保子、片山純江、實操綾子、中嶋恵子、飯尾廣子、保木道代 ・・・ 計17名

聖徳太子が祀られている叡福寺でリーダーから今日のコースについて説明

西方院 聖徳太子の死後3人の乳母が太子の冥福を祈った寺、庭園が綺麗な所でした

伝蘇我馬子の墓 小さい墓だった。馬子の墓は明日香の石舞台古墳が墓と言われているが?

太子町のマンホールの蓋は聖徳太子「十七条の憲法」『和を以て貴しと為す』と記されている。背景は二上山と叡福寺。

推古天皇陵、飛鳥文化を花咲かせた日本初の女帝の陵墓。

田んぼの向こうに木々が茂って島のように見える推古天皇陵。

推古天皇陵の近くに二子塚古墳が有る。古墳は工事中の為かビニールシートが張ってあり、その隙間から大きな石棺が見えた。

小野妹子の墓。参った後で横の広場で昼食にする。周りはもみじの木が多く紅葉時に来たらいい所。

旧山本家(江戸末期の民家)昔の懐かしい農具や生活用品が展示されていた。

竹内街道を下って六枚橋のバス停にて解散をした。

 今年は聖徳太子1400回忌に当たり、そのゆかりの地太子町をめぐるハイキングに行きました。最初は聖徳太子が祀られている叡福寺へ。奥にある太子御廟に参拝した。

 その後向かい側にある西方院(皇太子の乳母が建立)に行く。庭が良く整備されていた。そこから少し行くと小さい伝蘇我馬子の墓があった。明日香の石舞台古墳が馬子の墓と言われているが?何しろ1400年前の事だから謎が多い。それから街の中を行き、用明天皇陵(聖徳太子の父)、田園風景の中の推古天皇陵(初めての女帝)へ行く。歴史をよく知らないのでパンフレットによる知識をみんなの前で披露する。質問には答えられない。そこから田んぼのあぜ道の先に、こんもりした二子塚古墳が有り、古墳の中に石棺が見える。この石は凝灰岩で二上山から運んだそうだ。こんな大きな石をどうして運んだのか、想像するだけで楽しい。

 その後小野妹子墓、孝徳天皇陵、竹内歴史資料館を見学して、飛鳥時代に中国や朝鮮半島の文化をもたらした竹内街道を通って帰路に着いた。

記:前田 写真:森本(善)