一般例会No.718

金胎寺山(296m)と富田林寺内町 郷土巡りシリーズNo.1 例会記録

概要

『小さな山城跡と富田林の寺内町を巡ります。金胎寺山は楠木正成の前衛の砦でした。応仁の乱には畠山義就がこの砦を含む山城で2年に亘り幕府の大軍と籠城戦を交わしました。山頂からは格別の視野が広がります。午後は江戸の街並みが残る富田林の寺内町(起源は戦国期以来の自治区)を巡ります。寺内町に至る道筋には例会・歴史探訪天誅組に関連する錦織神社(顕彰碑在)と天誅組一行を迎え入れた天誅組河内勢の首領水郡善之祐の屋敷が現存します。サブザックで気楽に参加してください。但し、足元は軽登山靴が有効です。』

日時

2022年4月10日(日)

天候

快晴

担当

紀伊埜本節雄、小椋勝久

集合

9:00 近鉄河内長野線・汐の宮駅前(近鉄・河内長野駅の一つ天王寺寄りの駅)

行程

汐の宮駅~金胎寺山~汐の宮駅⇒川西駅~錦織神社~水郡善之祐邸~寺内町巡り~旧杉山邸見学(有料)~富田林駅解散

参加者

森本善博、前田守、杉本康夫、西村美幸、川崎喜美子、小椋美佐、安岡和子、飯尾廣子、喜多田恵美子、實操綾子、西向美保子、中川由紀、村木とも子、寺島直子、北山かな、上野あさみ、大森朋江、保木道代、村木正人、中村仁紀、木下春雄、脇本勇二、西村晶、紀伊埜本博美、神阪洋子、河合幸夫 ・・・ 計28名

石川に架かる橋を渡る

暫く村中を歩く

少し村中を歩くと登山口につく 地元のボランティアにパンフレットをもらう

所々に城跡の説明がある

文献が残っていたのだろうか所々に城跡の説明がある

頂上に着く今日は地元の行事がありハイカーも一杯です

集合写真

金胎寺山の歴史の話を聞く

錦織神社

天誅組並びに神官水群家の話を聞く

錦織神社本殿 室町時代創建らしい 錦織造りと言うらしい

水郡家を見学する

杉山家(石上露子出生地)を見学

石川近くのお寺を見学

駅近くの石上露子の歌碑(小板橋)を見学し解散する

 快晴に恵まれました。登山口でいきなりTシャツ一枚になり久しぶりの解放感を味わいました。金胎寺山は標高298mの小さな山ですが、さすがに山頂は山城の風貌が備わり展望は360度満点です。ここから北東に連なる尾根上に嶽山と呼ばれる同じ楠木七城の山城があるのですが、今は「簡保の宿」が運営されていて中間にある私有地(みかん山)は通過出来ないそうです、もし連なって歩けたら楽しいハイキングコースになるでしょうね、もったいない話です。

 畠山義就はこの連郭する2つの山城を活用して長期にわたる籠城戦に成功したと伝えられています。余談ですが、嶽山の「簡保の宿」から見る金剛葛城連山は、正に東に対面する屏風の如くその御来光は絶品だと思われます。来年の新年会は、EPE創立20年を記念して豪華に泊り掛けとは如何でしょうか。

 さて郷土巡りの後半は、寺内町への道すがら天誅組河内勢の首領・水郡善之祐の屋敷(現存、見学不可)を探りました。錦織神社から東へ近鉄線を横切り、道幅の狭い角々がわずかに食い違う江戸期の屋敷街、土塀に囲まれた水郡邸を見出すのはなかなか難しいことです。でも、ぐるぐる巡る内に彷彿として浮び上がる光景は文久3年(1863年)8月、京都で決起され堺の港に上陸し狭山を通過してこの地に現れた天誅組の若き人々です。中山忠光、吉村虎太郎、彼らはこの屋敷の一夜で何を夢見たのでしょうか、やがて遭遇する熾烈な運命、それは我々世代の曾爺さんの頃の出来事でした。

 続いて、石川沿いの土手道を歩み石畳と白壁が続く寺内町にやってきました。気温は今季最高25度にも上昇していたようで、旧杉山邸の大屋敷の中はホットする涼しさでした。この屋敷の惣領娘石上露子(杉山タカ)は明星派の歌人、その代表作「小板橋」について、この歳にしてあまりにも感嘆するわたしを見て少し呆けたかなと思われたでしょう。いいんですそれで、人は老いてこそ知る惜別の情のこれが変形かも知れません。ところで、この屋敷の玄関口がNHK朝ドラ「カムカム・・・」の豪邸、来嶋家のロケイションであったことに話は盛り上りましたね。偶然の巡り合わせとは云へ、こちらは大変愉快な話題になりました。

 ではおわりに、石上露子(いそのかみ つゆこ)作「小板橋」をご鑑賞ください。

 

ゆきずりのわが小板橋 しらしらとひと枝のうばら いずこより流れか寄りし

君まつと踏みし夕に いひしらず沁みて匂ひき        (うばら=野ばら、夕=夕べ)

 

 次回、郷土巡りシリーズもまた皆様のご支援をお願いします。

記:紀伊埜本(節) 写真:小椋(勝)