一般例会No.758

河内長野・千早古道 郷土巡りシリーズNo.3 例会記録

概要

『河内長野から鳩原を経て千早村に至る千早古道を登ります。現在の小深経由の車道が生まれる前の旧道です。古くは「天誅組」の一行が、三日市の宿場から観心寺~千早古道~千早村~千早峠~五条代官所襲撃と一日で駆け抜けたルートです。若い戦闘集団とは云え、あの頃の人は驚くほどの健脚です。尤も僅か160年前は、電車も車もない時代です。

千早古道の現況は解りません。EPE発足当時に歩いたことがありますが、鳩原から千早村まで標高差約250m、距離6キロ程ですのでゆっくりしたハイキングが楽しめるでしょう。千早城跡へも久し振りに訪れたいと思います。』

日時

2023年3月5日(日)

天候

晴れ

担当

紀伊埜本(節)、小椋(勝)

集合

9:20 河内長野駅前(9:30発 金剛山ロープウェイ前行きバス乗車、鳩の原バス停下車)

行程

鳩の原バス停~西恩寺~千早古道~金剛登山口~(余裕があれば)千早城跡往復⇒(バス)河内長野駅解散

       歩行時間:約4時間

参加者

神阪、森本(咲)、森本(善)、山倉(康)、山倉(知)、中村、原(康)、大森、小椋(美)、河合(幸)、木下、佐野、岩本、喜多田、中川、砂山、實操、和田(敬)、石上、駒井、秋田、飛田・・・ 計24名

9:50 鳩の原バス停下車、道路は中津原と小深(バス路)の分岐点です

千早赤坂村の境界線(低い峠)を越える。この尾根筋が千早古道である

10:10 西恩寺門前。秋は紅葉が美しいそうだ。今日は快晴に恵まれる

小さな集落の道を上る。最奥の家人は籾殻を詰めながら「古道は傷んでいるよ」と云ってくれた

鉄塔の手前で境界線に出た。標高約500m、集落から鉄塔までは関電の管理道であろう

11:10 南西に素晴らしい眺望。岩湧山、三国山は大きく見えるが手前の猿子城山と上山が同定しにくい。少し南の十字峠からはこの二つの山は綺麗な双耳峰に見える。

鉄塔から南西に降る付近で少し藪漕ぎにあった。あとは穏やかな古道が続いている

要所に手作りの標識がある。数えてここまで5~6枚、この道を訪れる人は皆無ではない

旧千早小深道路に出た。千早洞とはトンネルのことらしい。村の境界線はその上を通って東條山~花尾山~高谷山で金剛主稜線に連なっている。ちなみに金剛山頂は千早赤坂村ではない。

13:50 旧千早村の入り口で集合写真

村の地蔵堂の石標、真中が一番古く右五条と読める。

千早城四の丸の広場、つい先年まで?竹箒の掃き目が鮮やかに残る清々しい広場であった。

15:00 階段を降ると解散が近づく、そんなとき皆さんの顔が一様に明るくなる。

「今日も一日元気に頑張った」と、明日への希望が湧いてくる、素晴らしい瞬間だ。

 

 「鳩の原」のバス停でEPE一行24名が降りた。残る乗客を乗せた金剛行のバスは気の毒なほど効率が悪い。千早赤坂村は大阪府に残る唯一の村です。過疎地としての指定も受けているそうだが、道路沿いの家屋は大きく裕福である。観光資源は金剛山と楠木正成、しかし今はそのいずれもが歪化しているようだ。

 夜明け前の元旦、千早城に上ぼる階段には提灯を手にした村人が続々と列らなっていた。松明に照らされた境内では搗きたての餅がふんだんに振る舞われている。たまたま紛れ込んだ高校生の私は、よそ者ながら密かに満腹したのである。戦後間もない食料難の頃、楠木さんはまだそれほど敬虔な存在であった。

 村営の金剛ロープウエイは経営不振で譲渡先も無いまま、いよいよ撤去されるそうである。一方で山頂への道は何拾、何百回と繰り返し登る金剛登山に熱中している人達もいる。時は流れる水の如し、千早城への階段をあえぎ喘ぎ登る私が今更、何を嘯くかである。

記:紀伊埜本(節)  写真 :小椋(勝)