一般例会No.791

近江富士・三上山(432m)&義仲寺 例会記録

概要

『どこから見ても三角錐の美しい姿、近江を代表する山である三上山に登り、帰路、木曽義仲と松尾芭蕉が眠る義仲寺を訪ねます。』

日時

2023年12月3日(日)

天候

晴れ

担当

野原、山倉(康)

集合

7:45JR大阪駅中央改札口前(8:00発新快速米原行き乗車⇒9:00野洲駅着)

行程

野洲駅~境谷登山口~東光寺越~三上山~(表登山道)~表登山道登山口~野洲駅⇒膳所駅~義仲寺~膳所駅

参加者

佐野、中原(俊)、村木(と)、原(康)、喜多田、石上、中嶋、砂山、中川、西田、中原(正)、前田  計14名

9時JR野洲駅構内で今日の行程説明

今日の目的三上山、御神神社の神体山だそうです

野洲駅から約1時間、登山口です

東光寺越を過ぎるころから視界が開け湖西の比叡山方面を望む

山頂が近くなってきました

山頂に近づくと又樹林帯となります

登山口から約1時間で急登が始まります

急登の始まりで一息入れました

だいぶ上がってきました、頂上まであと少し

頂上からの展望、少しかすんでいますが右の頂が比叡山

11時30分御神山にて

頂上に鎮座する御神神社奥宮

表登山道の下りも結構急勾配でした

近江平野と湖西の山を望む

割岩と言う狭いチムニー状をザックを外して通過

下山途中、なごりの紅葉下にて

12時半頃登山口まで下りてきました

14時過ぎ義仲寺に着きました

義仲寺境内にて

14時半、JR膳所駅前にて解散としました

 今回は下山後の義仲寺への移動を考え、逆コースに計画変更。ところが、町外れの池に上がる地点にあった扉に番号錠が取り付けられており通り抜けできない。想定外の事態に再度計画変更。表登山道を経て三上山に登り、下山は裏登山道に変更することに決め引き返す。引き返す途中でたまたま洗濯物を干していた女性に声をかけられ、鍵がかかっていることを伝えると番号錠の番号を教えてくれました。感謝、感謝です。今回の例会最大の功労者はその女性かも? 再度引き返し扉を無事に通過、東光寺越までの登山道を辿る。東光寺越の直ぐ先から頂上へコースは一般向けと熟練者向けの直登ルートに分かれる。選択はメンバーに任せ、頂上で合流。早めの昼食としました。

 昼食後、表登山道を下るが当初考えていた以上の岩まじりの急坂で、気の抜けない下降が続く。下降の途中にあった「割岩」は身体を通すのが精一杯。狭い所は30㎝程度か。ザックを背負ったままでは通過不可能。ザックを外して横向きのカニ歩きでやっと通過できました。割岩の説明文には「肥満度調査可能」と記載されており納得した次第。肥満の方は腹がつかえて通過困難です。その後は淡々と下降を続け登山口に到着。そこから1時間程度の道路歩きで野洲駅へ向かう。帰路途中に見上げた三上山は見事な三角錐。見飽きることがない姿、さすがに近江富士と呼ばれるにふさわしい山容でした。

 義仲寺は源範頼・義経の軍勢に討たれた木曽義仲(源義仲)がこの地に葬られ、後年一人の尼僧がこの地に庵を建て義仲の霊を生涯弔ったという。この尼僧こそが、義仲の側室女武者として名高い「巴御前」と言われ、この庵が義仲寺の礎となる。この義仲を敬愛したのが松尾芭蕉である。「旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる」の辞世の句を残して逝った芭蕉の「自分の亡骸は義仲寺に葬るように」との遺言によってこの地に埋葬されることになった。芭蕉の命日は元禄7年10月12日で、死亡した御堂筋にあった宿から淀川を船に乗せられ、夜を徹してこの地に運ばれ14日に義仲の墓の横に埋葬された。命日の10月12日は新暦に直すと11月28日、埋葬されたのは11月30日になります。つまりこの例会の3日前です。

 今回は山だけでなく文化の趣も少しは加えたいと思い、この例会を計画、実施しました。

               記録:野原  写真:山倉(康)