一般例会No.796

東の川越~小川城跡(410m)~宝泉寺 歴史探訪シリーズNo.53 例会記録

概要

『天誅組の足跡をたどります。敗戦の兆しが濃い中、鷲家口(東吉野村大字小川)の彦根藩陣屋に決死隊を組み突入するも銃弾に倒れ吉村寅太郎以下天誅組隊士たちは捕獲、戦死し終焉を迎えることになりました。その激戦の鷲家口の集落に東の川越から向かいます。』

日時

2024年1月14日(日)

天候

快晴

担当

小椋(勝)、森本(善)

集合

9:00・大和上市駅(阿部野橋 7:20発  吉野行急行)

行程

大和上市駅⇒370号線⇒県道⇒東川~東の川越~P702.5~P668~P410~鷲家口⇒大和上市駅

参加者

大森 村木(正) 村木(と) 佐野 三原 杉本 岩本 駒井 小椋(美)・・計11名

上市口からタクシーに乗り東の川に着く

しばらく林道を歩く

舗装された林道から荒れた林道に入る

林道跡を歩くが最後は東の川越まで急登が続く

足元が悪い中やっとの思いで東の川越に出る

尾根道を歩き小川城跡に近づくと石積みの築造物が現れる

    二重の堀切跡が現れる。もうすぐ天守だ

天守跡

昼食後恒例の歴探の説明(天誅組始末記)を話す

小川城下部から鷲家口の集落を見る 写真右手奥に出合橋がある

下山後 天誅組義士菩提寺宝泉寺を訪れる

鷲家口の町を歩く

彦根藩陣屋跡

出合橋 古戦場

ニホンオオカミ像

大和上市口駅にて解散

今回は天誅組終焉の地を訪ねました。私自身の勝手な思いこみで鷲家口にたどり着くまでに天誅組隊士も東の川越えを歩いたのではと考察し東の川越から鷲家口に向かいました。

上市駅からタクシーに乗り東の川(うのかわ)の集会所を通り過ぎ養魚場で下車。挨拶を終え歩き始める。

舗装された林道から荒れ果てた林道に入って行くと、道も分からない急登になり不安定な足元を慎重に登って行く。急登の後、林道の跡(街道跡)のような道へと合流するがその道も荒れていた。

息を切らせながら登ると、ガードレールが見えてくる。東の川越だ!少し落胆しながら大きな林道に出て歩きへリポートに着く。少し休憩し北に向かって小川城跡を目指し進んでいく。

暫く歩くと石積の構造物が現れた。城跡の一部かと思われる。小川城跡に近づいてくると二重の堀切りが残っていた。主郭は石碑と神社があるだけの城跡だが千早城の面影が何となく感じ取れる。

少し休んで下山する。高見川に半島のように突き出た尾根は鷲家口の真上であり伊勢街道を見下ろすことができることから鷲家口の集落を観察するには最高な立地条件である。

小川城は南北朝時代、北朝方の遺構であるが同じ皇軍と言うことでこの城跡を通って鷲家口に攻め入ったか、あるいは北朝方と言うことで回り道をしたか定かではないが戦略的には重要なので、この城を通過したのではと私なりに考える。下山後、鷲家口の町を散策し帰阪した。

天誅組のシリーズはこれで終わりにしようかと思っていましたが、まだまだ奥が深く終わることができません。次回は伯母谷の集落を歩き「天誅窟」を訪ねようと思います。

               記録:小椋(勝)  写真:森本(善)、小椋(勝)