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一般例会No.895 |
(ベーシック例会No.89) 北摂・阿武山~安威川ダム |
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概要 |
『藤原鎌足の墓と伝えられる阿武山古墳から阿武山を経て、今年3月にオープンした安威川ダム堰堤を歩きます。』 |
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日時 |
2025年11月23日(日) |
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天候 |
晴れ |
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担当 |
野原、山倉(康) |
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集合 |
8:15 阪急・梅田駅3F改札口前(8:31発 京都本線・京都河原町行き乗車⇒8:51茨木市駅下車(阪急バスに乗り換え)西口3番乗り場 8:58発[77]茨木山手台7丁目行き乗車⇒9:16桑原橋バス停下車 |
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行程 |
桑原橋バス停~武士(もののふ)自然歩道入口~京都大学阿武山地震観測所~阿武山古墳~安威川ダム(ダムパークいばきた) |
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参加者 |
堀、岩本、渡辺、三原、前田、池田、附野、岩谷・・・計10名 |
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9:22桑原橋バス停下車 |
9時30分自然歩道入口、階段から始まります |
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阿武山稲荷の鳥居をくぐる |
こじんまりした阿武山稲荷 |
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阿武山古墳、1934年に偶然発見されたようです、資料では藤原鎌足が埋葬されていたようです |
京大地震観測所に立ち寄り小休止 |
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10時45分阿武山にて |
霞んでいますが大阪市内のビル群が見えました |
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安威川ダムサイトへの降り口 |
安威川ダム、洪水調節が主な目的で作られたロックフィルダム 50年以上かけて令和6年3月に完成したそうです |
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ダム湖を望む |
ダムの天端道を対岸に渡ります |
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12時ダムサイトにて |
13時 ダムパーク茨北(イバキタ)バス停で解散 |
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この例会は、今年3月に安威川ダムが完成し、ダム湖に日本最長のつり橋がオー プンしたとのニュースに接して計画。但し、新たな情報を得たので行程を一部変更しました。 例会を前に阿武山古墳について調べ直すと興味深いことが続々と判明。1934年(昭和9 年)京大阿武山地震観測所が行った地下トンネル工事中に偶然墓室を発見。墓室にあった遺 体(ミイラ)の状況と副葬品から天皇に繋がる「貴人の墓」と判断され短期間の調査で埋め 戻されました。その後、遺体の推定埋葬年、推定年齢、遺体の状況、副葬品から「大化の改 新」を中大兄皇子(後の天智天皇)と共に主導した藤原鎌足と推定。報道されると「世紀の 大発見」と言われ当時2万人を超える人波が押し寄せたとのことです。被葬者の藤原鎌足に とっては永久の安眠を妨げられたということでしょうか。この古墳は京都大学が地震観測 所をここに設置しなければ、地下トンネル工事をしなければ未だに埋もれたままです。 またこの阿武山地震観測所は間接的に南極に繋がっていました。1957年(昭和32年)に実施された第一次南極観測隊で副隊長兼越冬隊隊長の重責を担ったのが阿武山地震観測所の西堀榮三郎教授。雪山賛歌作詞者、アインシュタイン来日時の通訳、日本山岳会会長、ヒマラヤ・ヤルンカン遠征隊長、チョモランマ北壁遠征総隊長、東芝技術本部長、真空管発明等多彩な経歴を持つ人物。南極観測という一大国家プロジェクトへの参加に障害となったのが当時国家公務員でないこと。西堀の登山経験、リーダー力、危機に際しての突破力に期待する京大が捻りだした案が阿武山地震観測所の教授に任命すること。南極に向け出国後、文部省の反対を押し切って当初の計画に無かった越冬隊の編成という強硬策。年間を通しての極地研究に道筋をつけました。南極から帰国後、しばらくして京大教授を退官。阿武山地震観測所には出勤記録がなく観測所教授としての自覚は無かったようです。300年間という超長期借地契約中の阿武山地震観測所、5年後に開設から100周年を迎えます。 阿武山頂上での昼食後、安威川ダムに向け出発。下降途中の展望台や階段から見下ろした安威川ダムの景観には圧倒されました。 ダムの管理事務所にはジオラマ模型も設置。ここで山倉さんからダム工事についてのレクチャー、専門家としての意見が聞けました。このダムを見ていると過去8回通った槍ヶ岳北鎌尾根や硫黄尾根、ブナ立尾根等への登山口手前にある高瀬ダムを思い出します。巨大なロックフィルダムの迫力は「すごい!」の一言に尽きます。 ダム堰堤の上を歩きダムパーク広場へ。広場への入場料は10月から無料となったが、つり橋を渡るには高額な通行料(1,650円)が必要、メンバー10人の内2人だけが渡りました。ダムパークで一時を過ごし解散。今日は寒さを感じることもない「小春日和」の一日でした。 |
記録: 野原 写真:山倉(康) |