オプション例会No.222

奥美濃・蝿帽子峠と蝿帽子嶺(1037.3m)
歴史探訪シリーズNo.30 水戸天狗党Ⅱ 例会記録

概要

『蝿帽子峠は奥美濃(岐阜県)と越前(福井県)の国境を結ぶ江戸期の古道です。雪の季節は全く通行不能とされていましたが、1864年の厳冬、水戸天狗党一行800余名は幕軍に迫られ雪の峠越えを敢行しました。その後に木の芽峠~敦賀の悲運が待っていたのです。現在は廃道となりわずかに踏み跡が残っています。紅葉の季節です。懐深い奥美濃の山に天狗党の足跡を求めて登ります。』

日時

2015年10月17日(土)~18(日)

天候

17日快晴、18日快晴

担当

紀伊埜本節雄、小椋勝久

集合

10/17 9:50 JR大阪駅中央改札口前(10:00発 新快速・長浜行き乗車)

行程

10/17 JR大阪⇒米原⇒JR大垣・車組と合流→谷汲華厳寺→根尾薄墨桜→樽見住吉屋(泊)

10/18 住吉屋→根尾大河原~蝿帽子峠~蝿帽子嶺~根尾大河原→JR大垣・車組と解散

参加者

板谷佳史、大石隆生、安本昭久、黒澤百合子、小川眞裕美 ・・・ 計7名

10/17 初日はアプローチのみの気楽な日程。谷汲の華厳寺に寄る。西国33番の巡礼満願所だそうで、お馴染みの西国4番槇尾山施福寺と比べて少し華々しい。

樽見の名所と云えば「根尾の薄墨サクラ」樹齢1500年余、花見頃には一日 8000人が訪れるそうだ。我々は葉桜の紅葉と洒落て来てみたが、さて老樹の佇まいに瞠目した。

それでも、この老樹の復活には並々ならぬ苦労が重なって奇跡的に蘇生したと銘板に刻まれている。女流作家宇野千代の奔走が大きな契機となったこともよく知られている事実です。

本日の宿、樽見の住吉屋。宇野千代は昭和50年、77歳のときこの住吉屋に滞在し小説「薄墨の桜」を執筆した。女史は99歳まで自由闊達に生きたそうで、見倣わねばならぬ生き様である。

早速に乾杯、背景には宇野千代さんの大振りの写真とパネル、色紙など展示されている。文壇の恋多き女と浮名を残す女史を肴に今宵はゆっくり飲みましょう。

10/18 7:40 悪名高い国道(落ちたら死ぬと掲示されている酷道)157号を走り根尾大河原に到着、入山準備をする。岐阜ナンバーの車3台10名程が先着していた。

蝿帽子峠への最初の難関は根尾西谷川を対岸に渡ることである。以前は丸太橋が掛けられていたこともあったらしいが、近頃は結構難渋している報告が多い。勿論、水量次第で渡渉不可もあり得る。

ところで、今日は渡渉地点まで車が通れる程の切り開きがあり、そのうえロープがセットされていた。水量も膝下ぐらいで問題は無い。渇水期でかつ整備?された直後だったのが幸いした。10月末に本巣市歴史研究会主催の第1回水戸天狗党フォーラムが開催されるという。その下見が8月にあったと住吉屋主人の情報がある。

8:10 対岸に「乳くれ地蔵」がある。これが峠道の目印。大河原は根尾西谷川の最奥の集落(廃村)であった。天狗党一行は冬の峠越えに集落の人達の力を借りたことは確かだろう。

P908までじぐざぐの急登である。踏み跡は下から登るかぎり明瞭だが、下るときは気付かぬ内に藪に突っ込む。旧街道は尾根の左右を巧みに縫っていたようだが、今は尾根筋通しに踏み跡が続く。

やがて平坦なブナ林を進む。見上げると梢が紅葉している。真っ青な晴れた空が背景にあり思わず立ち止る。本年初の紅葉との出会い、生きる者の有難さを感じます。

ブナ林の下は雑木が疎らで微かな踏み跡とはいえ全体の見通しは旧街道を彷彿とさせる。100頭ほどの乗馬と駄馬も12門の大砲も、800余名の天狗党とともに通過したこの山道である。

10:20 P908、P943と北に向かって進んできた尾根が東西の国境稜線に合流する手前に、蝿帽子峠への分岐点がある。下山時は蝿帽子嶺を廻ってここに至るので大事なポイントだ。

まずは蝿帽子峠に先着するのが歴史探訪の礼儀だろう。山腹を縫う踏み跡はさすがに荒れている。途中、枝尾根を越えるところに「ひのき乗越」と木札が掛けられていた。藪化がひどい。

11:00 蝿帽子峠に出た。我々にはそれなりの感慨はある。越前(福井県)側にしっかりした銅版の道標があるが、今日、少し続く踏み跡道の先は消えているそうだ。

峠の地蔵さん、訪れる人はほんに稀れだと思われる。何時からここに安置されたのか、越前ではここを這法師峠と呼ぶ、かって永平寺の坊さんが這う様にして美濃への布教に峠を越えたという由。

峠から蝿帽子嶺に向かう。藪漕ぎと急登のあと北に分かれる支尾根の頭で蝿帽子嶺からやって来た先行パーティに出会う。ここは峠に逆行する人のほとんどが北の支尾根に迷う場所らしい。

12:10 蝿帽子嶺(1037.3m)に到着。小さなピークが連なる中の一つが山頂で、登頂したという実感はない。しかし藪の切り開かれた一角に堂々とした能郷白山が現れる。その眺めは実に素晴らしい。そして確かに三角点は足元にある。

国境稜線から北北東に荒島岳、加賀白山の連峰が望まれる。

蝿帽子嶺から見た能郷白山(1617.4m) つい先日、土砂降りの雨の中を登りましたね、各々方。

14:45 「乳くれ地蔵」に別れを告げ帰り道の渡渉です。首からのビニール袋は山靴をぶら下げている。お陰さまで念願の蝿帽子山行はこれにて無事終了しました。

GPSの軌道、マークの途切れている箇所は藪のひどい所らしい。

 3月の木の芽峠越え歴探に続いて、水戸天狗党Ⅱ蝿帽子峠の歴探を実施しました。あまり快適な登山になるとは思えぬ企画でしたが、能郷山脈の一角を美濃から越前に抜ける間道は元々歴探に関わらず山ヤのロマンをかきたてるに充分なものがあるはずです。

 山と歴史を巡る楽しさは、実際に歴史の場を我身で体感すること、観るだけではなく往時の人の息遣いも、何を視たのか、何を思うたのかを共有できること、奥深き山であればこそ残る臨場感、そんな味合いを求めてこれからも愉しみ多い歴探を続けたいと思います。

記:紀伊埜本(節) 写真:小椋(勝)、大石、板谷