オプション例会No.241

行市山(324m)~柳ヶ瀨山(421.1m)歴史探訪シリーズNo.36 +アルファーNo.20 例会記録

概要

『柴田勝家と豊臣秀吉が覇権をかけて戦った賤ヶ岳の合戦舞台となった余呉湖周辺の山城を訪ねます。玄蕃尾城では桜が満開かも?宿は柴田勝家が建てた茶屋をそのまま利用した民宿です』

日時

2017年4月15日(土)~16日(日)

天候

4/15:雨後晴れ、4/16:晴れ

担当

小椋勝久、紀伊埜本節雄

集合

4/15 7:15 JR大阪駅中央改札前(7:30発 新快速・塩津行き乗車)

行程

4/15 余呉駅~観音堂登山口~中川清秀墓所~大岩山砦~賤ヶ岳~飯ノ浦切り通し~国民宿舎跡~泊地

4/16 泊地⇒送迎バス~免受兄弟墓駐車場~行市山~柳ヶ瀨山~玄蕃尾城跡~板倉峠~柳ヶ瀨山P⇒車⇒余呉駅

参加者

藤田喜久江、和田都子、寄川都美子、村木とも子、村木正人、黒澤百合子、上原進一、板谷佳史、和田良次、小椋美佐
 ・・・ 計12名

4/15 9:40 余呉駅前の案内図で今日、明日の行程を説明する

観音堂登山口から登り始めると、雨が降り出す。最初に岩崎山砦跡を通る、摂津高槻城主キリシタン大名の高山右近が築いた

10:30 大岩山に到着、茨木城主中川清秀の墓がある。中川方はここで全員最後を遂げたという

墓の前でリーダーから中川清秀討ち死に至る経緯を話していただく

中川清秀の首を洗ったという「首洗いの池」に立ち寄る

賤ヶ岳山頂に近くなるにつれ雨と風が強くなる

11:55 賤ヶ岳山頂に到着する、雨雲に覆われて展望は閉ざされているが古戦場にふさわしい物悲しい風景

雨風の強い山頂を避けてボランティアガイドの事務所をお借りして昼食休憩、成り行き上ガイドの話を聞かざるを得ない。その間に雨も風もすっかり止んだ。

賤ヶ岳山頂からの展望が開けた、高島トレイルの山々が見通せる

伊吹山も雲が取れて姿を現しつつある

山頂を後にして日が射す天気に回復した頃、13:40 余呉湖畔に下りつく

余呉湖畔にて歴史講話の続き

歴史講話の舞台としては申し分ない雰囲気です

余呉湖畔の桜はちょうど満開の時期、残雪豊富な横山岳を背景に

湖面に映った桜も楽しみながら湖岸の遊歩道を歩き始める

のんびりと余呉湖の西岸を辿って今夜の宿へと向かう

15:10 今夜の宿泊地、民宿文右ェ門に到着。柴田勝家が北国街道栃ノ木峠に建てたという、茶店をそのまま移築したというだけあって内部は三百年前の趣き

+アルファとして夕朝食とも湖北らしい料理が並び、好評でした。

4/16 朝霧の余呉湖と賤ヶ岳。今日の好天が期待される

8:20 民宿の送迎車とマイカーにて毛受(めんじゅ)兄弟の墓に着く、今日はここからのスタート

柴田勝家の忠臣と伝わる毛受兄弟の墓。

行市山への登路には砦跡が次々と点在する、ここは中谷山(368m)原彦次郎長頼の砦跡

9:40 別所山砦跡に到着、前田利家、利長父子が構築した

10:50 行市山山頂に到着、佐久間盛政の陣地跡

行市山を後に国境稜線(中央分水嶺)を忠実に辿る。踏み跡が背を没するほどの笹に覆われた藪漕ぎを30分ほどでようやく縦走路らしい道に変わった

13:40 ブナの美しい縦走路を辿って、少し長い縦走に疲れが出る頃倉坂峠(刀根越)に降り立つ。

ここから少しで今回の最終目的地、柳ヶ瀬山(玄蕃尾城跡)だ

玄蕃尾城跡の説明板

広大な玄蕃尾城跡に向かうリーダー、後で聞くと歴史の舞台を訪れた感激に浸っていたらしい

柳ヶ瀬山山頂に築かれた玄蕃尾城は柴田勝家の本陣であった、というだけあって本当に広大なものである。

天守台跡で今回最後の講話。リーダーは戦国武将の生き様と死に様を語った

下山路を飾っていた「イカリソウ」

15:18 柳ヶ瀬登山口に下って例会を終了した

 天正11年(1583年4月)余呉湖周辺で 羽柴秀吉と柴田勝家が覇権をかけて戦った賤ヶ岳の戦い。何度か賤ヶ岳に登り激戦の跡を見学しましたが、あらためて深く探ってみようと思い今回、企画しました。

4月15日

 余呉駅に着いた頃にはもう、雲行きが怪しく今にも雨が降りそうな空模様、早々に挨拶を済ませ観音堂登山口へと向かう。登山道を登り始めると雨が降り出したまらず傘を出す。3、40分歩くと中川清秀墓所に着く。墓所で歴史探訪恒例の講話、資料をそろえて勉強してきたがしゃべれない。参加者の方の方がよくご存じで合いの手を入れてくれる。ありがたい事だ等と考え、歴史探訪も良く浸透したものだと思いながら賤ヶ岳へ向かう。

 賤ヶ岳に着くころには本格的な雨 思わずボランティアの語り部さんの詰所に避難。待っていましたとばかりに話をしたいのか話しかけてくる。雨宿りをさせて頂いたお礼にと聞くことにした。(みなさん私の講話を聞いていたおかげで話をよく理解できたらしい ※自分勝手な思いです)話を聞き外に出ると雨上がりの琵琶湖が目の前に広がっていて皆さん大喜び。日頃の行い、私のおかげかなと思いながら切り通しから泊地へ春の湖畔を歩いて行きました。

 泊地は柴田勝家が建てた栃の木峠の茶屋を移築した宿、食事も鯖のなれ鮨、鯉の洗い等々プラスαにふさわしい食事。その夜は登山、歴史などの話題に大いに盛り上がりました。

4月16日

 宿の送迎バスと車2台で出発。最初に柳ヶ瀬山Pに車2台をデポ。送迎バスに乗り換え行市山登山口に向かう。毛受兄弟墓所にて挨拶と行程の説明を行い登り始める。天気も今日は回復しそう良い山行になるのではと思いながら冬眠から覚めた熊に注意し登山道を歩く。途中、多くの砦跡があり 土塁、堀切などが多く見られた。別所山(前田利家砦跡)に着き休憩し行市山に向かう。行市山砦の規模は、さほど大きくなくあっという間に通り過ぎる。行市山山頂で少し休憩し余呉湖周辺の地理を見る。なるほどここに立てば陣取り、進軍の意味合がよくわかると顧問との合戦話に話が弾む。歴史は現地に立たなくては理解できないと教えられました。

 行市山からは藪漕ぎ、踏み跡もないしテーピングもない、地図とにらめっこで先を急ぐ。途中残雪が残る中やっとの思いで尾根道に出る。ここから柳ヶ瀬山までは快適な尾根道。途中景色の良いところで昼食を取り柳ヶ瀬山へと向かう。柳ヶ瀬山には玄蕃尾城跡がありその遺構は圧巻でした。そこで休憩し講話をして下山する。柳ヶ瀬山駐車場でデポしていた車に分乗し帰途につきました。皆さん今回も私の下手な講話に付き合って頂きありがとうございました。

記:小椋(勝) 写真:小椋(勝)、板谷、上原