オプション例会No.277

泉州山岳会創立80周年記念事業計画・1 例会記録

概要

『北アルプス前穂高岳・奥又白沢 石田君、水田君の石碑回収登山 過去に造られた個々の慰霊石や岩盤に填めこまれた慰霊プレートを回収して同じ慰霊碑に収める』

日時

2019年5月24日(金)~26日(日)

天候

5/25:快晴

担当

西村晶、紀伊埜本節雄

集合

5/25 8:00 上高地・明神館前

行程

5/25 明神館~徳沢~新村橋~奥又白谷大岩、石田君、水田君の石碑回収~明神館~小梨平 解散

参加者

松田芳治、野原勇、村浪義光、森本善博、森本咲穂、(泉州山岳会)本田和史、大島稔、植辻康二、伊達香織 ・・・ 計11名

25日早朝の上高地河童橋。天気は快晴、岳沢から前穂~奥穂の吊り尾根が隈なく眺められる。但し奥穂の山頂はこの角度では見えない。

午前8時、明神館前で全員集合、奥又白班、明神班と合わせて20名が簡単な挨拶のあと、明神橋を梓川右岸に渡る。

養魚場前で明神班と別れて、右岸沿いの冶山路を行く。徳沢園の対岸辺りから前穂北尾根4峰正面壁~前穂東壁右岩稜が一気に現れる。しばし立ち止ったまま息を飲む、哀しいほど美しい風景は今もかわらない。

奥又白谷の分岐から冶山路は奥又谷の右岸にも続く、かって奥又のお池に向かったクライマー達の踏み跡は遠い昔に無くなっている。

石田岩はこのとおり冶山路の真横にある。砂防提の設置により谷床がせり上がり、かっての巨岩もやがて埋没の危機にある。しかし石田、水田両君のレリーフは60年間、58年間共にこの巨岩に守られ無事である。

持参したお花とお酒を手向けた。やっと迎えに来たよと伝えながら、

長い間、寂しかっただろうと思う一方、今も青春のまま思い浮かぶ両君の面影に、俺は随分齢老いたよと呟いた。

解体作業は素早く丁寧に行われた。コンクリートの破片は小さな小粒まで残さず回収して、ヅタ袋5袋に集められた。

参加者の皆さんの懸命な作業により、正午前には跡形も無くきれいに元の自然に戻された。ありがとうご苦労様でした。

明神班と合流したあと、上高地の小梨平まで下りて解散のご挨拶をした。本当にご苦労様でした。とくに若いOB会員、現役会員の皆さんには心から感謝しました。

石田正武君の石碑は少し表面が黒ずんでいるが頑丈405×150×150

水田真理君の石碑は表面加工されていて今も美しい、545×150×60

上高地帝国ホテルの裏側、テラスに白いデッキ椅子が並ぶ梓川沿いのおそらく上高地一の静寂なビューポイント。実は前日、上高地帝国ホテルの冬季小屋(通称木村小屋)の跡を尋ねてやって来ました。あの頃、季節外に穂高に登る登山者が必ずお世話になった「木村の大将」を懐かしく思われる方もいるでしょう。訪ねるうちに、「泉州の衆」と親しみをもって接してもらえたのは、当時西穂小屋の冬季番を一人で10年近く勤めた当会会員藤村孫人君のお陰でもあるでしょう。少し明るい話題を一つ加えてみました。

木村 殖(しげる) 1905-1974

冬季小屋の跡地に立つ帝国ホテルの社員寮に飾られたレリーフ。公開はされていませんが、特別に拝見しました。

 泉州山岳会の創立80周年の記念事業の一環として行われた山行です。詳しくは先に配られた小冊子、慰霊碑建立趣意書をご覧頂きご理解ください。

 さて、この日は快晴に恵まれたのが何よりも良かった。前日から午前も午後も澄み渡った青空に一片の雲も無く、穂高の山々が手に取るように眺められた。こんな素晴らしい光景があったのだろうか? 哀しい出来事を追憶しながら、作業中の誰もがこの快晴に癒される思いがした。

 解体のあと、ずっしりと重い両君の石碑が若い会員の背で下された。自ら申し出て、交代で背負う女性会員もいた。熱い血潮が脈々と連なっていることが、背負われている両君にも解るだろう。愉快で朗らかで且つ勇敢でもあった60年前の青年二人は、さもはにかみ頬笑んでいることだろう。

 EPEクラブの皆さん、母体の泉州山岳会には、こんな生みの苦しみがあったことを、赤裸々にして申し訳ありません。他に何も書けないものですから。

記:紀伊埜本(節) 写真:西村(晶)