オプション例会No.287 |
泉州山岳会創立80周年記念事業計画・5 |
概要 |
『北アルプス奥鐘山・黒部川 下元君の銅版プレート回収登山 過去に造られた個々の慰霊石や岩盤に填めこまれた慰霊プレートを回収して同じ慰霊碑に収める』 |
日時 |
2019年9月15日(日)~16日(月・祝) |
天候 |
両日晴れ |
担当 |
西村晶、野原勇、永井文雄 |
集合 |
9/15 7:00 宇奈月駅前 |
行程 |
9/15 宇奈月駅⇒欅平駅~黒部川 下元君の銅版プレート回収~欅平駅⇒宇奈月駅⇒黒部IC⇒立山IC⇒立山ゲストハウス ピステ(泊) 9/16 宿泊地⇒大阪 |
参加者 |
翁長和幸、杉本康夫、板谷佳史、山倉康次、森本善博、村浪義光、岡部一郎、(泉州山岳会)本田和史、杉山僚 ・・・ 計12名 |
9/14 大阪発のOB連はここゲストハウス・ピステにて前泊しました、日本と思えない雰囲気 |
永井師範によるそば道場の出張指南がありました |
久しぶりに集合したロートルOB連の話は夜中まで尽きない |
明日に備えて休みます |
9/15 宇奈月駅にて当日集合の4名と合流し、12名にて始発のトロッコ電車を待つ |
7:57発 欅平行きトロッコ電車に乗り込む |
9:15 欅平駅ホームから直接黒部川に降りる交渉をするが、許可されず。仕方なく正規の改札を出て駅前から川へ降りることに |
猿飛山荘前を通って河原展望台から川床に降りた |
早くも胸下まで浸かって上流へ向かう |
その先できわどいへつり箇所にロープを固定して通過する |
深い渡渉が何度かある |
新黒三発電所が見えてくる、駅ホームから直接なら容易にここら辺まで来られた記憶がある |
何人か繋がっての渡渉が安定する |
10:55 レリーフが有るはずの対岸に到着、こちらから見ただけでは場所が確認できない |
左岸に渡って上流下流を探すこと約30分、11:35 設置場所を見つけることができた |
設置場所へ渡る渡渉がいちばん激しい流れだった、ロープ固定 |
さっそくプレート取り外し作業を開始 |
設置個所までフィックスロープが要るほどのクライミング、以前はこんなことは無かった記憶。川床が数メートル洗い流されたらしい |
12:00 回収したプレートに酒、ビール、献花を手向けた。 |
全員で黙とうを捧げる |
偶然にも40年前の事故日は今日と同日であった。我々の記憶にある下元君は40年前の若さ溢れる姿しか無い |
撤収する、最後のへつりも全員無事通過、予定通り欅平発13:31発に乗れて宇奈月に帰った |
全員ゲストハウス・ピステに宿泊、無事完了の祝杯をあげました |
9/16 翌朝ピステ前で解散となりました、皆さんご苦労様でした |
1979年9月15日、25歳と23歳の若者2人が奥鐘山の大岩壁の登攀に胸を躍らせながら、黒部川を渡渉中に事故が起き、下元君が帰らぬ人となって、ちょうど40年後の2019年9月15日。 我々12名は、下元君を迎えに紺碧の秋空のもと黒部川に降り立った。彼が、我々の為に安全に山行ができるよう最高の天気を用意して出迎えてくれたのだと思う。宇奈月駅から朝1番のトロッコ電車に乗り、終点の欅平駅に降り立つ。以前は、ホームのドンつまりから、第三発電所の横を通り、黒部川に降り立ったが、今回、駅長に交渉するも今は一切認めていないとのこと。 そのため、一旦、駅改札を出て、猿飛峡への階段を下り、足湯のある欅平河原から黒部川を遡行することとする。しょっぱなから腰上までつかり、時には流れの早い急流を数人で肩を組んだりザイルを固定して渡渉するなど、遡行すること約1時間。現場近くに着き、プレートを探すがなかなか見つからない。上流下流200m前後に渡って皆で探し回すが、それでも見つからなかった。何回も黒部川側壁を見渡した結果、ブッシュに隠れている「ここしかないなあ」と見当をつけたところを、再度登り探したところブッシュに覆われた壁に下元君のプレートを発見した。40年経過しているが、きれいな銅板のままである。4か所のボルトで止めた銅板をはずし、河原に銅板と、供花、酒、ビールを供え、皆で合掌。現場を後にし、1時間で欅平に着く。 その日は、12名全員が立山のゲストハウスに泊まり、翌朝、現地解散とする。今回、OB10名、現役2名の計12名の仲間に参加して頂き、無事プレートを回収することができましたが、このプレートが堺に建立される慰霊碑に納められることで、今後はいつでも彼に会いに行くことができます。40年前の事故を起こした当事者である私としては、泉州山岳会及び会員の皆様に感謝しかありません。本当にありがとうございました。 |
記:永井 写真:山倉、岡部、野原、西村(晶)、板谷 |