オプション例会No.297

兵庫・浜坂三山(観音山、城山、千々見山)
+アルファーNo.24「カニ料理」例会記録

概要

『孤高の人「加藤文太郎」の故郷山歩きと、解禁されたカニ料理を堪能します。』

日時

2019年11月23日(土)~24日(日)

天候

11/23:快晴、11/24:晴

担当

野原勇、前田守

集合

11/23 8:00三宮バスターミナル(ダイエー神戸三宮店前・ミント神戸1F)(8:30発 浜坂行き高速バス乗車⇒(全但高速バス)11:51浜坂駅到着)

行程

11/23 浜坂駅~宇都野神社~千々見山~諸寄~城山~矢城ヶ鼻灯台~宿宿泊先:浜坂温泉保養莊

11/24 宿~相応峰寺~観音山~相応峰寺~加藤文太郎の墓~加藤文太郎記念図書館~浜坂駅⇒(14:01発 三宮行き全但高速バス乗車)18:25 神戸三宮着

参加者

喜多田恵美子、和田敬子、西向美保子、中川由紀、上原進一、近藤さとみ、寺島直子 ・・・ 計9名

11月23日 浜坂駅にてリーダーより今日のコースについて説明

小説では加藤文太郎が伴侶の花子と初めて出会った宇都野神社、麒麟獅子が有名な歴史ある神社だった。

宇都野神社の裏から千々見山へ登る道は滑りやすく急斜面を落ちないように、ロープを持って必死になって登った。

千々見山山頂(262.9m)は広々としていて展望台があった。

千々見山山頂からは諸寄の港がよく見え、その奥には日本海の絶景が広がっていた。

山陰本線諸寄駅(浜坂の次の駅)まで降りた。レトロな雰囲気がいい駅でした。

諸寄港沿いにある前田純孝の歌碑

夕日を見ながら城山を登る。

城山の先にある加藤文太郎のふるさとの碑、そこには不撓不屈の岳人、加藤文太郎と記されていた。

城山(175.8m)から浜坂が見える。前の山が観音山。山と綺麗な海と温泉、そこを岸田川が流れている、上から見るときれいな町だった

夕闇迫る八城ヶ鼻灯台

下山後、旅館にてカニ料理を食べながら乾杯

11月23日
 浜坂到着後、駅の待合室で昼食を摂り、将来の伴侶となる花子との出会いの場となる宇都野神社へ向かう。神戸から帰省の折、宇都野神社へ向かった文太郎と本殿石段の途中で赤い鼻緒の切れた下駄を持った少女(10歳位の花子)との運命的な出会い。そのような出来事もありそうな雰囲気のある神社でした。
 千々見山の登山口は本殿手前左にある踏み跡。ネットで事前に調べていたので直ぐに分かったが表示は一切なし。調べていないと迷うこと必定。浜坂三山のひとつで標高も低く軽く考えていたが、実際は固定ロープに頼る急登が続く想定を遥かに上回るコースだ。木の枝に付けてあるテープが道標となる。千々見山頂上は広く、壊れかけた展望台もある。頂上での休憩後JR諸寄駅に至る踏み跡のコースに入る。ここも所々ロープにつかまりながらの緊張感が続くコース。諸寄駅のたたずまいに昭和のレトロを感じました。諸寄駅から少し歩くと諸寄漁港。ここ諸寄は「東の啄木、西の翠渓(前田純孝)」と呼ばれた薄幸の歌人前田純孝の故郷。天を突くような形状の純孝の歌碑を見た後、城山へ向かう。城山へはうねうねした九十九折の道。途中の城山園地展望台からは諸寄の集落と漁港が眼下に広がる。城山頂上に立つと前方に日本海、右に目を転ずれば浜坂漁港、そして明日登る観音山もハッキリ見える。頂上からの展望を楽しんだ後、矢城ヶ鼻灯台まで平坦な遊歩道を歩く。灯台到着は夕日が山に入った直後、天気が良すぎて雲が無く夕焼けはまったく期待外れだったが気分は最高。本日の踏破目標を達成しルンルン気分で浜坂漁港へ下る。夕闇迫る中、今夜の宿「浜坂温泉保養莊」に到着予定時間の電話を入れると車で迎えに来てくれました。宿で温泉に入った後、大広間で今回例会のハイライト「カニ料理のフルコース」を十二分に味わい尽くしました。

11月24日 旅館を出発の前に集合写真。今日も元気に登るぞ!”オー”

相応峰寺(国の重要文化財)の前で休憩

観音山へ落ち葉を踏みしめて登った。

観音山(254m)にある相応峰寺、人は誰もいなくてひっそりしていた。

文太郎がよく登ったと言う観音山からは、浜坂の港と昨日登った城山がよく見えた。

観音山から海側に下りる道がわからず、荷物運搬用の道をケーブルにつかまりながら何回も滑って、急坂を降りた。

危ないケーブル道を無事に降りて、ほっとしながら岸田川にかかる白馬橋を渡った。

加藤文太郎の墓。大きい墓地の中に何の目印も無いのでなかなか見つからず地元の人に聞いてやっと分かった。墓石の横には冬山登山中槍ヶ岳北鎌尾根ニテ遭難ス、昭和11年1月6日、加藤文太郎 享年31才と記されていた。

浜坂温泉源泉塔等、熱い湯が湧いていた。横には温泉さんありがとうの文字があった。

加藤文太郎記念図書館の前で集合写真

2Fに加藤文太郎の資料が有り、入り口に肖像と槍ケ岳の額が飾ってあった。

文太郎が使った、山スキーの板、登山靴、ピッケル等が展示されていてこんな粗末な道具で冬山を行くとは、今では考えられない。

浜坂駅は40数年前、冬の扇ノ山へ行った時降りた駅。その時と何も

変わってなくてローカルな感じが良い。ここから高速バスで帰路に着いた。

11/24(日)

 例会前の予想に反して今日も晴天。ゆっくりと朝風呂に入り朝食後出発。当初の予定を変更し相応峰寺から続く参詣道に沿って登ることにしました。1丁目から始まって10丁目が奥の院「円通殿」、頂上は裏手を少し上がった所にある。ここも展望良好。浜坂漁港を眼下に昨日登った千々見山、城山も一望。ゆっくりと休憩の後、南東に続く尾根を下る予定だったが、コースの入口が分からない。少し下りても発見できず。来た道をそのまま下りるのも能がないと思いトロッコのレール沿いに降りることにしました。しかし、途中で思いの他の急降下コースであることが判明。引き返すことも考えましたが、このコースを引き返すのも大変、安全面では問題がないこともあり、そのまま降下を続け登山口の相応峰寺へ。私の判断ミスでメンバーには苦労を掛けました。帰宅後、改めて下山口を調べると円通殿の直ぐ先にあったようです。通過した際の記憶を辿ると、朽ち果てる寸前の判読不能の指示板がありました。そこでの確認作業不足でした。

 その後、浜坂の町を歩き「加藤文太郎の墓」へ。現在この墓は発見困難な状況になっています。以前立っていた標柱がすべて無くなっており、数百の墓石が並ぶ「墓石の海」の中をメンバー全員で探し回りましたが発見できない。墓地の中で作業をしていた地元の人に聞いて大体の場所は分かったがそれでも発見できず。教えてくれた人も交えて探すも分からない。そこにたまたま通りがかれたお年寄りに案内してもらってやっと分かりました。加藤文太郎の命日は昭和11年1月6日となっていますが、この日は妻花子の夢枕に「花子さん、いま帰ったよ」と夫が立った日とのことで決められたようです。吹雪の北鎌尾根に倒れて、魂は愛する妻と子の元に帰ってきたということでしょうか。墓参後、加藤文太郎記念図書館へ。加藤文太郎の遺品や新聞記事などを見て帰路に着きました。

記:野原 写真:前田