一般例会No.500 |
河内・弘川寺を巡る山 +アルファーNo.19「西行記念館見学」 |
概要 |
『弘川寺の裏山に西行法師の小さな古墳(墓所)があります。ちょうどこの頃は桜の開花が始まり西行を偲ぶにふさわしい季節だと思います。弘川寺の西行記念館(美しい庭園も)を見学します。また裏山には応仁の乱勃発の一因となった畠山一族の弘川城跡があるといわれます。』 |
日時 |
2017年4月1日(土) |
天候 |
曇りのち晴れ |
担当 |
紀伊埜本節雄、小椋勝久 |
集合 |
8:50 近鉄富田林駅前・金剛バス「河内」行きバス停前(9:05発河内行乗車) 《参考・近鉄阿部野橋駅 8:20発急行・吉野行き乗車、古市駅で河内長野行乗換》 |
行程 |
河内バス停~裏山(標高約500m)~弘川城跡~西行墳~弘川寺「西行記念館見学」~河内バス停⇒近鉄富田林駅 |
参加者 |
和田良次、和田敬子、小川眞裕美、和田都子、村木正人、安本昭久、安本嘉代、野口秀也、村木とも子、池田える子、藤田喜久江、上原進一、小杉美代子、寄川都美子、梅田寛子、牛山恵美子、板谷佳史 ・・・ 計19名 |
近鉄富田林発 9:05 金剛バスに乗車、終点の河内に着きました。小さな集落でとても大阪府内とは思えません。ちなみにここでは河内はカウチと読まれているそうです。初耳でした。 |
10:40 弘川寺を起点に裏山巡りのスタートが始まりました。 |
集落の小さな墓地を通過して P-536から西に派生する尾根道を探りながら登って行きます。 |
この裏山は10年ほど前、大阪府の企画で遊歩道が縦横に巡らされたのですが、なぜかそのまま放置され今はすっかり廃道化しています。そのうえ残された道標は固有名詞が示され登山者にはかえって紛らわしい存在になっています。 |
12:10 選抜された地図読みの皆さんの先導で「此上、弘川城跡」と刻まれた巨石の前に出ました。 |
巨岩の裏を登りつめた所がどうやらP-536の西端らしい。表示、標布の類はどこにもありませんが、ここが畠山一族の城跡と思われます。 |
西に遠く大阪平野が見渡せます。眼下に石川が南北に流れる様はいつみても美しい眺めです。 |
12:30 P-536から北に下がった処で葛城山からの下降路と出会う。道標には展望の道とあるが、登山者はこれに惑わされます。 |
写真、正面の森の右端が城跡と思われる位置、そこから北に廻り込んだ所に立っています。ここは切り株が点在しているうえ眺望も良いので昼食としました。12:45 |
午後も新に選抜された皆さんの読図で先導してもらいました。うっかり道標に従うと谷筋の管理道に導かれコンクリートの道を歩く羽目になります。その他の皆さんも読図に熱心です。 |
14:13 西行墳に通ずる小さな台地に下り着きました。上部からこの谷間の小さな突起台に出るのは厄介なことです。表示板に西行の歌 「訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて煙を立つる弘川の里」 他1首ありました。ここに立てば西行の歌も素直に文字通り読めばいいのだろうと納得できました。 |
西行墳(墓)のある台地に至りました。周囲を松と桜に覆われた比較的大きな広場ですが、桜は未だ蕾固く全く華やいだところはありません、むしろ冷厳な趣を感じました。 |
江戸中期、似雲(じうん)法師によって発見された西行の墓所です。円墳のような形で左に円位(法名)右に西行(歌名)の石碑が立っています。似雲もまた敬愛する西行と同じ台地に葬れています。 |
この歌碑は「願わくば花の下にて、、、」が刻まれています。近年に建てられたもののようですが、達筆で予備知識なしに読めません。 |
15:05 本坊の受付風景、桜の開花が遅れている為か来訪者は私達のみ、静かな+アルファー西行記念館の見学です。春季開館は今日から5月10日までだそうです。 |
昨秋は塀の外から拝見した見事な紅葉木の庭園です。(例会479報告写真ご参照ください)でも春の息吹を待つこのひとときも、また捨てがたい味合いです。 |
一本の老桜が見せる西行記念館です。ハイキングのあと心静かに訪ねる文化の里です。こんな心境を知る歳を感じました。 |
老桜に力強い蕾を見つけました。明日への望みが約束された微笑みですね。 |
昨秋の例会のことでした。紅葉を求めて葛城山から弘川寺に下り、ついでに西行の墓所に詣でるつもりが見事に失敗したのです。やはりついで参りは御利益は無いようです。そこで今回は西行と弘川寺を主題に例会を組みました。およそ西行の歌には知識も関心も無い私がなんたる暴挙かと思いながらです。 一方で、元北面の武士であった西行の身辺にかかわる出来事と、その後の流浪の生涯には興味がありました。いそいで西行法師とは何者かと勉強しましたが、所詮にわか仕込みです。ますます歌詠みの難しさに翻弄され、その境地に至りません。 唯一の救いは、歴史も文化も現場で体験しようと常々思う事です。主人公と同じ場所に立ち同じ想いを馳せることは貴重であり、またときに面白き導きに出会うかも知れません。思えば、綿々と山また山へと登り続ける私共も、案外同じ流離の道を歩んでいるのかもしれませんね。ハイキングの効用はほんに拡がりがあるようです。 |
記:紀伊埜本(節) 写真:小椋(勝)、板谷 |